天国から地獄。愛猫の死
猫を死なせました。
油断したらすぐに涙が出る、でも子供達の前で何時までも泣けない。
スマホみたくない、SNSもslackも開きたくない、でも私の呟きで心配してくれてる人はいる。
一人ずつに説明する気力もなく、返事も困らせるだろうから初めてここに書くことにしました。
愛猫を死なせました。
それに気付きもしないで家電購入に浮かれて、まさか苦しんでるなんて知らずに「帰ってこないな、迷子かな」と言っていました。
我が家は、4年前拾った2匹の雄猫がいました。
黒猫のフワとキジトラのチャコです。兄弟だろうとのことでした。
生後半年を待ちすぐに去勢。
猫を飼うにあたり「完全室内飼い」とており、我が家は無駄に広いのでストレスの部分も心配していませんでした。
言い訳が並ぶことになりますが我が家は中古で購入した、とにかく部屋数が多い古い木造建て一軒家です。
窓は多い、ドアのほとんどが引き戸。
よく出入りする窓は外鍵を付けたり工夫はしましたが、隙をみては人間の足の間や子供が遊びに飛び出した玄関、トイレのドアや壊した網戸、、これまで何度も脱走劇がありました。
できる対策はしましたが、人為的な鍵の閉め忘れ、まさかここが空いてたなんて、そんなミスもありちょこちょこ逃げられては帰宅を待つということが数ヶ月に1度のペースでありました。
我が家の横には車道がありますが、私道と庭側は沢山の塀や植物があり、うちの猫達は車道にはいかず隣の家や我が家のテラス、庭、植物で遊び数時間したら庭の窓に帰ってくる、それまでは無理に追いかけると逆に危ないので待つ、そんな感じでした。
9月15日
1年間貯めたお金で買った洗濯機が届く、待ちに待った日でした。
昼間はテラスのケージに入れよう、そう決めてました。
その前に掃除をしようと予定より早く午前から2匹をケージに入れ、ある程度の家事を済ませました。
予定は13時半、まだ時間があり、猫たちがにゃーにゃー鳴き始めました。そろそろ出してくれ、と。
まだ時間もあるので出してあげました。
部屋でくつろぐ猫たち。
13:28、予定より少しだけ早くインターホンが鳴りました。
まだケージに入れてなかったのでひとまず2匹を奥の部屋に入れ、戸を閉めました。引き戸です。開けるには爪で引っ掛けながら少しずつ開けるのでひとまずここに入れようと。
業者が入ってきた時、フワが部屋から出ていてリビングのテーブルの下に入りました。
ふと奥の部屋のチャコを見ると、最初からその部屋に大人しくいた為落ち着いて座っていたように見えました。ひとまずまた戸を閉め、リビングテーブル下のフワを抱えてチャコがいる部屋に入れ、そこでケージに入れる…はずでした。
一瞬でチャコが部屋の引き戸をガラッと開けて掛けだしました。
焦った私はすぐにフワをケージ入れチャコを追いかけました。一目散に玄関へ走り出し、業者が全開にしている玄関のドアから出ていく姿が最後に見た姿でした。
車道の方向へ曲がったものの車道へはそこから数メートル、いつも脱走の時はその間に庭の方へ行くので私は車道の手前まで追いかけ業者さんに『猫が出たんですっ』と言いました。業者同士で『猫見た?』『いやみてない』と言う会話を聞いたので(あぁ庭の方に行ったか)と私は引き返しました。
洗濯機は設置され、業者も帰りました。
その時も車道には出らず玄関先で見送り。
チャコはすぐ帰ってくる、そう思って新しい洗濯機についてSlackで喜びを伝えたり実際に使ってみたり。
さすがに夕方には(普段いない業者、ほかの人間がいたから慌てて遠くに行ったのかも…)と不安を感じた私は次第に胸騒ぎが強くなってきました。
お腹が空くとテラスから顔を出す脱走時の風景。
どこ行ってたの?おいで!と呼ぶと、にゃぁと言いながら部屋に入ってくる、そんな光景を思い出しなごら周辺を探しました。
ずっと外を気にする私に娘が晩御飯を作ってくれました。弟と私の分も。とても美味しいご飯でした。
寝る前も懐中電灯を持って名前を呼びながら周辺を捜索。
娘は朝には帰ってくると信じてる、息子は少し不安そう。
耳をすませ神経を集中させて就寝。なんどか物音やライトで目覚めるも違う。
9月16日
翌朝すぐにフワをテラスのケージに出し、呼び戻してねと祈りながらまた周辺を探しました。
娘と息子を学校へ送り出し、市役所が開くまで車でみまわろうとエンジンをかけ、出発…した直後、それこそ家の目の前で横たわる猫の後ろ姿が見えました。
我が家の反対車線側にある、空き家の倉庫のようなところ。朝日が当たらず薄暗い隅。。
すぐに車を停めて駆け寄り抱きかかえると、身体は固くなり鼻血を出し、目に蟻がたかったチャコの顔が飛び込んできました。
絶望としか言い表せなかった気がします。
両親に手伝って貰い部屋へ入れ、1人泣き叫びました。
そのときLINEのタイムライン通知がなりました。いつもは無視する「〇〇さんが投稿しました、いいねをつけましょう」の類の通知を、混乱した状態で何故かタップしました。
スクールが同じだった年下の女の子のタイムライン投稿には、チャコと同じキジトラちゃんの探してください画像(ポスター)投稿でした。
昨日からいないと。明日は台風。
まさに同じ状況で、まさに今最悪の結果を目の当たりにしている自分。
まさかそんなことは言えるはずもなく、たた彼女に直接「家のすぐそばを徹底的にみてください」とだけ送りました。
今もその子の状況はわかりません。
朝から晩まで泣き続けました。
いつもは絶対行かない車道側に行った理由としては、庭側に行くルートに業者、もしくは車があったからだと思います。
スピードが早いチャコは素早く踵を返し、方向転換したんでしょう。
そうだとしたら、事故にあったのは家を飛び出した直後。。すぐに車道にでなかったので分かりません。業者の人達帰りに気づかなかったのかな?ならもっとあとかな?今考えてもどうしようもいのですが、ただひとつ確かなことは“何度もすぐ横を通って探したのに気がついてあげられなかった”ということ。
痛かったでしょう寂しかっでしょう怖かったでしょう。ここだよって思ってたかもしれない。それなら即死であってほしい。
なんとか出張火葬の手配をし、仕事は勝手ながら、最低限だけカメラを繋がす2日間調整させてもらいました。
午前はずっとチャコを抱っこしたまま。呆然と時間が過ぎ、午後の記憶はありません。
残されたフワはただただ怯え、威嚇していました。
学校から帰宅した子供たちが泣く姿を見て、私はなんてことをしてしまったのだろう。ケージに入れてさえいれば。直ぐに追いかけていれば、、そればかりでした。
夜はリビングに安置し皆で過ごしました。
子供たちは泣きながらも私を責めませんでした。単身赴任中の夫も責めませんでした。私は私を許せず世界は視界は色を失ったように感じました。
9月17日
火葬予定は12時半。お花を買いに行く気力もなく、出張火葬なのでただただチャコの隣で過ごしたことを覚えています。
この日は台風直撃の日でした。
目はうっすら開いていたものの、外傷は鼻血のみでまるで寝ているかの様だったこと。
台風の前日に見つけてあげられていたこと。
これだけが救いでした。
お花で包んであげることもできず、我が家の駐車場に火葬車が到着。
既に雨は降り始めていたけれど、台風上陸前だったので風は静かでした。
子供たちがまた泣き出します。
最後のお別れをし、全てが終わったのは15時ごろでした。学校は台風で休校だったので救われました。
私はただ泣くばかりで何も出来ず、娘が弟と自分のご飯を作ってくれました。
子供たちはもう日常会話をして、私に色々話しかけてきてくれます。
しょうがないよ、誰のせいでもないよと自然に慰めてくれるので本当に申し訳なく思います。
9月18日
いつもチャコが起こしてくれていた現実はそこにはありません。
すぐに涙が溢れるけれど、子供たちが前を向こうとしてる横でいつまでも泣く訳にはいきません。
今やれることとして、チャコの写真をプリントし額縁にコラージュすることにしました。
プリント中は1人でやっぱり泣くけれど。
リビングで写真を切り抜き、配置を決めていたら子供ちも参加しました。
3人でチャコの写真をかわいいかわいいいいながらコラージュし、完成品をお骨の後ろに設置しました。
3日間塞ぎ込んでいたので、息子のゲームを買いに一緒に歩きました。
外の風を浴びながらチャコが跳ねられた状況を思い描いては打ち消しそれでも前を向いてフワを守っていかないとと。
19時からすぐ近所のコロナワクチン接触にはなんとか行くことができました。
ご飯を食べなくなった私に娘は栄養満点のご飯を作ってくれ、息子はゲームの話や猫の話を明るくふってくれます。
夫はいつも以上にLINEをくれ、野良猫だったあのこちは幸せだったと思う、また会えるからと言葉をくれました。
これから少しづつ受け入れていくしかないのだろうとおもいます。