妊娠6ヶ月。衝撃的な環境から生み出された女性アスリートとしての価値。
中学生の頃までの私を知らない読み手は、もしかすると驚くかもしれない。でもそれでも良いんです。そのくらい私はこのnoteを書きたいと思ったから。
「私たちは身近な人から学んだ多くのことを、次世代の子供たちに伝えていく義務があると思う。」
これは動物が食う・食われるという食物連鎖の関係と同じで、1つの鎖状になっているように、女性の明るい未来を見たければ、私たち自身が何かアクションを起こし、鎖を繋げていかないといけないと私は感じる。
それが家族や友人、または指導者、先生の影響なのか。それは人それぞれだと思う。きっかけなんて正直なんでもいい。
大事なことはその「アクションを起こせるか、または起こせないか。」
そして誰しも知っているように、過去は変えられなくても未来は変えることができる。
でも私が最も重要だと思うのは
「今、この瞬間」
The future is now.
私は、未来のために今というこの瞬間に何ができるのだろうか。
私にはサッカーがあった。
『サッカーがあったから、私は道を踏み外さずに済み、サッカーがあったから、私は大切なことに気づくことができました。だから私はサッカー感謝しています。』
私は物心ついた頃からサッカーボールを追いかけていた。それは4つ上に兄がいたからだ。兄の背中を追いかけ、サッカーに夢中になり、4歳からは本格的にチームに所属した。小学生の早い時期から上級生チームの練習に参加させてもらえたり、U-12の全日本少年サッカー大会の北九州予選では6年生4人ながら優勝という順調な成績を収めた。
そして卒業後、私はサッカーを続けるか迷ったが、福岡県北九州市にあるNW北九州レディース (以下 NW)という女子チームで中学3年間 上を目指して頑張る と決めた。
当時のチームの試合は県外、または最低でも車で1時間以上かかるところでの試合が基本だった。
意外にも北九州または福岡県内には女子チームが少ないということで、当時所属していた中学生の多くは皆片道何時間もかけて通っていた。(中には大分県からも...)
私もその1人だった。
中学校が終わったら一番に学校の門を出て、走って家まで帰り、モノレールに乗って、JRに乗る。これが日課だった。だが、試合になると話は別だった。朝早い集合であったり、集合場所 付近には電車が通っていないこともあったからだ。
つまり送迎が必要だった。
しかし私は毎日母と喧嘩をし、しまいには母に送迎をしてもらえない。という状況を自分で招いてしまっていた。
だから移動手段がない時もあった。
小学校4年生から中学2年生まで私は反抗期だった。何を言われてもうざいと思っていたし、特にサッカーのことを言われると、頭の中の糸がプツンと切れたかのように私は狂っていた。いわゆる超問題児だったということ。当時を振り返ると、私はどれだけ母や兄そして周りの人たちに迷惑をかけてしまったのかはわからない。
「人を叩いてはいけない。」
そう私は習った。だから人を叩く代わりに物を壊すというとんでもないやつだった。
正直、この私のストーリーを想像できる人はなかなかいないだろう。
そのくらい私は人としてもクズだったのだ。
ではそんな超問題児の私がどのように変わることが出来たのか。
私の人生を大きく変えてくれたのはある先輩との出会いがきっかけだった。
通称 みかちゃん🍊
NW北九州レディースは社会人の人たちがトップチームとして活動をし、その下部組織としてU-15チームがあり、みかちゃんはトップチームに所属するチームの最年長の先輩だった。
少しだけみかちゃんの紹介をしてみよう。
-最年長に見えないほどの持久力の持ち主
-身体が柔らかすぎる
-盛り上げ係
-みんなに頼りにされている
-チームの心臓、ポジションもボランチ
-いじられキャラ
年齢は一回り以上歳上だったが、それを感じさせない 優しい人だった。
もう少し優しさが分かるエピソードを話すとしたら、移動手段のない私を、片道30分以上かけて、迎えに来てくれる天使のような人だったということ。
そして、今ふと書いていて考えた。
みかちゃんってどれだけ、私を迎えにきてくれたんだろうと。遠回りをしてまで迎えにくる理由なんてなかったはずなのに…
もう皆さんには既に分かって頂いていると思いますが、当時の私の考えは幼かった。
母との喧嘩は当たり前、そしてみかちゃんに迎えに来てもらえるのも 試合にいける、ラッキーぐらいに思っていた。
ここまでのことをしてもらえるなんて当たり前ではないことなのに、私はそれに気づけていなかった。感謝することの意味すら理解していなかった。
ある日、みかちゃんが私に言った。
「優香は私のドッペルゲンガーだね。」と。
14歳の頃の私の頭の中には???しか浮かばなかった。
「なにを言ってるんだ、みかちゃんは」と。
私はここで衝撃的な事実を知ることになる。
「私もね、毎日喧嘩してたの。物を投げる、家を出る、ちゃぶ台返し、殴り合い。(笑)全く優香と同じように。それが良くないことは分かっていた。でもその時の感情って抑えが効かないのよね。だからわかるよ、優香の気持ち。でもね、お母さんは大事にせないけんのよ。まぁ私も毎日喧嘩してたから言えないけど… 優香がもう少し大人になるか、母親になったらお母さんの気持ちがわかるようになるかな。」
と横で微笑みながら語り続けてくれた。
私は驚いた。
今のみかちゃんの姿からは全く想像がつかないことだったから。
でも、こう感じたのは 私だけだろうか。
もしかすると、ここまで必死になってまで私に伝えてくれるのには何か理由があるのではないか?と。
後悔?成長?親へのありがたみ?愛情?
私には本当の理由はわからない。
でも必ずみかちゃんが私に費やしてくれた時間やメッセージには意味があったと私は思っている。
そして、みかちゃんは私にサッカー選手である以前に人として大切にしないといけないことを沢山教えてくれた。
その中でも特にこの2つだけは忘れたらいけないよ。と言われたことがある。
周りの人への感謝の気持ち。
「優香は一人では生きていけない。今の優香がいるのは、紛れもなく多くの人の支えがあるからだよ」ということ。
母親の偉大さ。
「優香はうざいと思うことが多いかもしれないけど、優香のお母さんはいつになっても優香のお母さんで、どんな時でも味方でいてくれるんだよ」と。
私はみかちゃんと共有する時間というのが増え、少なからず母親を大切にしていかないといけない。とわかり始めた。
それでも喧嘩は減った方だったが、他の人と比べるとかなりの確率で喧嘩をしていたのは間違いない。
だが、そんな私だったが、ある時にパタリと反抗期が終わった。
それはみかちゃんの背中を見続けて、私の母がどれだけの愛と苦労で私を育ててくれていたのか。というのに気づき始めたからだ。
そこからだろう。私の人生、そしてサッカーが変わったのは。私はサッカーのパフォーマンスと人に感謝できるかは比例していると思う。変われてなかったら今の私はいないと断言できる。
人に感謝できるようになると、
自然に運気が上がったり、結果がついてきたり、人生がうまくいくようになるというのは本当だと私は思う。
幸せなことに、私は周りの人にも恵まれ、サッカーでも高校3年次の選手権では優勝🏅という結果も収めることができた。
そして今なら、
みかちゃんが私に母親の大切さを教えてくれたのは、みかちゃんが母親になったからなのではないかなと想像がつく。
私には彼女ほどの強いメンタルはない。
なぜなら、彼女は最後の最後まで誰にも言わなかった。弱みや辛さというものを。監督やチームに助けを求めても良かったのではないかなと思う反面、でもこの貫き方はみかちゃんらしかったなと今でも思う。
私が14歳の時にみかちゃんは母親になった。
みかちゃんは誰にも言わずに、妊娠6カ月まで妊婦の状態でサッカーをしていました。
皆さん 想像つきますか?
今年の1月の初めに私たちOGメンバーは1年間頑張ろう会を行った。その時に、私はみかちゃんに妊娠していた当時のことを振り返ってもらった。
⚠︎ここからは編集なしでありのままのみかちゃんの "思い" というのをまとめていきます。
【当時事情がり未婚での妊娠。当然周りも妊娠しているとは思わない状況でのサッカー継続。この時妊娠を報告すれば引退になる。と頭の中では覚悟していたのかもしれない。
しかし、気持ちは逆らうかのようにグランドへ私を向かわせた。お腹の子供も私の気持ちを理解してくれていたのかハードワークな私のお腹の中ですくすく元気に成長してくれた。
しかし、ある時期からお腹の子供が
「もうお母さんいい加減にしてよー!」
と言わんばかりに胎動を激しく感じたり、腰痛を起こしたり‥初めて監督、選手へ発表しお母さんの準備を始めた。
気づけば6ヶ月!今は振り返るだけで妊婦の時期は鳥肌がたつ。しかし、私にとって競技そのものもチームの皆と過ごす時間もかけがえのないものであった。サッカーか子供かなんて選べなかった。 】
今でも覚えている。みんなが え?どういうこと?と疑問を抱いていた光景を。そして、当時中学生だった私も理解するのに時間がかかった。
皆さんもご存知だと思いますが、妊娠中には大変なことが沢山あると思います。でもそれらのことを一人でやり遂げ、ましてや周りには何も言わずにチームメイトと同じことをこなしていたみかちゃんには熱いハートがあったからに違いないでしょう。でもそれだけではないと私は思うんです。
みかちゃんは妊婦ながら、練習場所までウォーキングしに来たり、選手のボトルを運んだりと どんな時でもグランドにいた。
あり得ない光景ばかりを覚えているが、
みかちゃんにとって『サッカー』というものはそれほど大切なものだったんだなと私には想像がつく。
出産後も4ヶ月で復帰したものの妊婦の時はなかった感情ばかりに直面する。
【練習、試合中‥ピッチに響きわたる娘の泣き声、それを一生懸命あやしてくれる選手のお母様方。時にはベンチに入れない選手が娘の世話をしてくれていた。また、私が疲れていると同様に疲れている選手が娘の面倒を見てくれる。
チーム関係者みんなが心優しくバックアップしてくれた。が、私は罪悪感と申し訳なさで自問自答する日々となってしまった。
涙を流す娘を見ると
「泣かせてまでサッカーするべきか?」
同じ立場の選手が娘を面倒見てくれるときに
「私は試合に出場するべき選手なのか?」と‥。
そう考えるうちに自然に自分で限界を決めては「集大成」だとか「来年は辞める」と口に出し、
今思うと自分に言い聞かせていたのかもしれない。
結局現役バリバリは退いたものの未だに県リーグで戦うクラブチームに所属する。辞める辞める詐欺とも言うが‥‥やはり子供もサッカーも好きだ!と言うのが結論!】
みかちゃんの話を聞いていると、時計の針があっという間に1時間を回っていた。そして彼女の話を聞いていくうちに、私が抱いていた疑問が、雲が晴れたかのように先が見えてきた。女性アスリートの結婚、出産がタブーというのは、むしろその逆で、自分より大切なものが出来れば、今まで見えなかった世界が見えるようになったり、人として今まで以上にもっと成長出来る。ということがはっきりと私の頭には描くことができた。
そしてここからが本当のメインポイントなのではないだろうか。なぜなら読んで頂いている方々の心を動かすメッセージになっている、いやなってほしいと私は思うから。
【日本でいうと、女性アスリートの結婚、出産は現状タブーだと思う。日本の文化がそうであるから。女性は家を守る。家事、育児‥今はプラス仕事。
男女平等と言われてきているが実際はまだまだ女性の負担は大きいと思う。この負担の中で自らサッカーをする時間を作り出し、活動する。このサイクルは地域リーグで戦い、週5回のトレーニングをするチームに属する私でさえクタクタでした。
トップアスリートがとなるとパートナーが余程の理解者である、同じ方向性でサポートしてくれる、経済力がある、そして自分自身がタフである‥この4点は最低限必要な条件ではないかと私は思う! 】
実際にアメリカでは現役中に出産した選手が競技復帰して今尚プレーされてますし、この写真のように子供も試合に来ています!
【そんなのがいいよねー!試合中気づいたら12人目乱入とか♡ はダメだけど、スタンドから応援されて、娘の顔が見えたら、疲れなんて忘れて頑張れちゃうかな。】
私はみかちゃんに出産後も現役選手としてプレーすることはありなのか尋ねた。
【もちろんあり!そして、アメリカのように子供がグランドにいる風景が日常風景化する日本になって欲しい。
スポーツと育児が密接になることで競技中に集中し続けなければならないが、合間で母になる。この切り替え、短期集中が面白い選手を育てるのではないかと勝手な期待。 】
私が個人的に知りたかった質問。それはママになる前と後だと一番何が変わったのか。
【試合中娘の泣き声を聞くと胸が張る!笑
と、言いたいけど‥
やはり想像つくように「メンタル」。強くなるのはもちろん選手の見方が変わったのかな。
最年長と言うこともあり母になる前は後輩に対しては自分の意見を押し付け、プレーでの過程、結論を伝えるばかりだったが、後輩を見守れるようになった。
後輩のプレーでの発想を大事にできるようになった!発想した選手のプレーに対して自分が動くことで私自身のプレーの幅も広がったように思う。あとは、試合後に娘に会える癒し♡ 】
そして最後にママさんプレーヤーとしての思いやこの記事を読んでくださる方に伝えたいメッセージなどを尋ねた。
【優香‥ありがとう!こんな下部で戦うママプレーヤーの私でも私と戦う選手、私を見かけた方、同じチームメイトには伝えたかったことなんだ!
「母になってもサッカーはできるんだよ」って。
少人数でもその想いが届き、サッカー人生を終える限界を自分で作らないでと!
母になり新たな自分に出会える喜びを多くの選手に味わってもらいたい。
ただ、それには本当にたくさんの条件をクリアしなくてはならないけど‥アスリートは何かと大きな壁が好き。と勝手な私の考えだけど‥
越えれない壁はないと立ち向かって欲しい!そして、そういう選手がいるのであれば今すぐにでも取り上げて欲しい!
私は年齢があがりスマホに遊ばれる側なので上手く発信出来ないが、Instagram やTwitter などのSNSを通して多くの人に知ってもらうことが日本でできる第一歩ではないかと。その情報をしったら私はイイネ!♡押しまくり、シェアしまくりでいきます!】
みかちゃんありがとう。そう伝え、私はみかちゃん家を後にした。
私を変えてくれたママさんプレーヤー。母として、女性アスリートとして戦う彼女から学ぶこと。私にはまだまだ沢山ありそうだ。
あとがき
0歳の時から知っているみかちゃんの娘ももうあっという間に小学2年生になっていた。
名前は笑虹と書いて「にこ」と読む。
笑虹を始めて抱いた日
その日は奇跡的にも虹が見えていた。
出産後の病室の窓から見える虹を指差し
みかちゃんは言った。
「いつも笑顔を絶やさず幸せを運ぶ架け橋になりますように」
あの虹のように。
笑虹はその名の通り、多くの人に幸せを運ぶ子に育っている。
会うたびに大きくなり、子供の成長は早いなぁと感じると同時に自分が年をとったのを感じる。
笑虹の成長を見れるのが私は嬉しくて、
いつか彼女も私と同じように反抗期が来るのかなとどこか楽しみにしている自分もいる。
でも、その時には私が教えてあげたい。
「ママはすごい人なんだよ」って。
完
長くなりましたが、ご覧頂いた皆さん、本当にありがとうございます。
正直、書き始めた当初はこのような記事になるとは思っていませんでした。ですが、みかちゃんの思いというのがすごく詰まった記事になったのではないかなと思います。
私に出来ること、それはほんの一握りのことなのかもしれないですが、今こうして沢山のnoteがある中からこのnoteを読んでくれた方に私は伝えたいです。
出産の女性としての役割を乗り越えた先に、アスリートとしての本領発揮。私は身近でみかちゃんを見てきたからこそわかることがあります。
パフォーマンスに影響することはもちろん、今まで見えなかった世界を見ることができるのだろうな。ということを。
もしかすると、これはまだ少しの認識なのかもしれません。でもいつか。数年後の女性アスリートの未来が変わっていれば、これを書いてよかったなと思えます。
何よりみかちゃんのママさんプレーヤーとしての思いが多くの方に伝わる内容になっていれば嬉しいなと思います。
そしてもし共感してくれた方がいたのならいいねやRTそれが私たちへの最高のプレゼントになります。ありがとうございます。
この内容を書きたいと思ったのはこの市川さんのnoteがきっかけでした。彼女も女子サッカーの環境を良くしていきたいと考えている方の1人ですので、是非チェックしてみてください。Yuuka
黒崎優香 6月12日生まれ。
現在アメリカのオクラホマ大学に留学中。Twitter&Instagram:@yuuka_kurosaki Facebook:@yuukakurosaki1997
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