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宇宙飛行士名鑑001 "アメリカ最初の男 アラン・シェパード"
名前
アラン・シェパード(Alan.Bartlett.Shepard.Jr)
略歴
1923年11月18日 ニューハンプシャー州イーストデリー(地図参照)にて誕生
![](https://assets.st-note.com/img/1687099545712-YAsovTrt8L.png?width=1200)
1944年 アメリカ合衆国海軍兵学校で科学の学士号を取得
1951年 海軍テストパイロット学校を卒業
1957年 海軍大学を卒業
1959年4月 宇宙飛行士に選抜
1961年5月5日 フリーダム 7号で宇宙へ
1962年 ダートマス大学で芸術学名誉修士号を取得
1963年 宇宙飛行士室の室長に就任
1971年1月31日 アポロ14号で宇宙へ
1971年 マイアミ大学で科学名誉博士号を取得
1972年 フランクリン・ピアス大学で人文学名誉博士号を取得
1974年8月1日 海軍とNASAを退職
1998年7月21日 逝去(満74歳)
概要
シェパードは、1923年にアメリカのニューハンプシャー州のイーストデリーという町で誕生しました。
彼は、イーストデリーとデリーの小中学校を通ったあと、1944年にアメリカ合衆国海軍学校で科学の学士号を取得しました。
その後、海軍テストパイロット学校と海軍大学を卒業し、海軍少将になりました。
そんな彼に転機が訪れたのは1959年4月でした。
彼はのちに"マーキュリーセブン"と呼ばれる、アメリカで最初の宇宙飛行士7人のうちの1人として選抜されました。
そしてその2年後の1961年5月5日、彼はフリーダム7号でアメリカ人で初めて宇宙に行きました。
(人類で初めて宇宙に行ったのはユーリガガーリンというソ連(現ロシア)の青年です)
その後彼はメニエール病という目の病気を患ってしまいました。
そのせいで、彼は宇宙飛行士が必要な活動の日程管理などの責任者としてデスクワークを行う宇宙飛行士室室長に任命されてしまいました。
しかし彼は再び宇宙へ行くことを諦めず、当時の最新の手術を受け無事メニエール病を克服し、再び宇宙飛行士として復活しました。
そんな彼の2回目の宇宙飛行は1回目の飛行から10年経った1971年1月31日でした。
彼はアポロ14号の船長としてスチュアート・ルーサ、エド・ミッチェルと共に月へと飛び立ちました。
実際に月に降り立つことができるのはシェパードとミッチェルの2人だけでしたが、彼らは素晴らしい操作で月のフラマウロ丘陵に着陸し、様々な科学装置の設営や月の岩のサンプルの採集を行いました。
その結果、彼らは滞在時間、船外活動時間、探索の範囲、サンプルの採取量すべてにおいてこれまでのアポロ11号、12号の月探査の記録を更新しました。
また余談ではありますが、アポロ14号はアポロ計画で唯一手押し車のようなもの(画像参照)を使いました。
![](https://assets.st-note.com/img/1687098463751-kBrJZvGfhd.jpg?width=1200)
直訳すると、"小回りの利く装置運搬車"
画像左側の棒部分をもって引っ張るので手押し車ではなく正確には"手引き車"のほうがいいのかもしれない…
帰還後彼は、宇宙飛行士室室長の業務を再開し、1974年に海軍とNASAを引退するまで続けました。
晩年はテキサス州のヒューストンで民間企業に在籍したり、学生のための奨学金を提供するNPO法人のマーキュリーセブン財団の代表を務めたりしていました。
1998年7月21日、満74歳でこの世を去りました。
宇宙関連記録
総宇宙滞在時間:216時間57分
総船外活動滞在時間:9時間17分(すべて月表面)
参考文献
https://www.nasa.gov/sites/default/files/atoms/files/shepard_alan.pdf
宇宙プロジェクト開発史大全 鈴木喜生 枻出版社 P27