多世代シェアハウスで育む「家族観」
ライフスタイルマガジン「FRaU8月号」に、先月卒業した多世代シェアハウスでの暮らしが掲載されました。
これを機に、ここで育ませてもらった「家族観」をテーマに振り返ってみる。
上京が決まった3年半ほど前に、Facebookで関東の家候補の募集投稿をしてみると、なぜか友人数名から薦められた場所が多世代シェアハウス「ウェル洋光台」だった。
学校を2度中退するほどに集団生活が大の苦手だったこともあり、約30名近くの「多世代と暮らす」ことに、半ば不安な気持ちを抱えつつ、あたらしい暮らしの一歩をここで踏み出すか考えあぐねていたほど。
ただコンセプトとして掲げられた「持ち寄る暮らし」という心をあたたかくする言葉に惹かれて、本格的に腰を据える拠点を探すまでという名目で、上京が迫った半月前にバックパックとスーツケースを携えて、身一つで無理やり転がり込ませてもらった。
たまたま空いていた部屋が押し入れを大胆にリノベしたわずか4平米の部屋。荷の少ない自分には無駄なく暮らせる最適な環境で、超ミニマリスト生活を楽しむこと早3ヶ月。
気づけば運良く空いたワンルームの部屋に居を移し、すっかり腰を据えるほどに馴染んでいた。
最初は仕事で外に出ずっぱりの日々が続くも、「いってらっしゃい」と「おかえり」が気兼ねなく飛び交う居場所に、自然と「ただいま」と言える関係が築けるようになっていた。
水回りが共用なので、自炊やデスクワークでキッチンやラウンジに日常的に出向くようになり、ハウスメイトと顔を合わして何気ない会話を交わす毎日。
時には互いの顔色や佇まいの変化を気遣う声かけや様々なギフトをいただくこともあったりと、血は繋がってないけど家族のような不思議な関係性を育んでいく日々だった。
入居当時は4,5組の子連れの家族住まいの方もいて、これまで暮らしの奥まで覗いたことのなかった他の家庭の親子関係を傍目にすると、自身が知らぬ間に親に"完璧さ"を求めていたことに遅かれなから気付いた。
完璧な親も子もどこにも存在しないし、互いが何をするかよりも存在してくれていること、いま生きていることそのものを喜ぶべきだと。互いに未完成であるからこそ、足りない部分を補い合っていけるのだと。
幼き頃からの家庭内不和の原因は、自身の意識の陰にも隠れていたのかと気づかせてもらう貴重な経験ができた。
知らぬ間に受け入れ難い外の世界を変えようとばかりしていたけれど、まずは自分の内からありのままを受け入れる意識に変えていくこと。
そんな気付きが血肉となっていくにつれて、自身の家族にも昔より少しばかり平和を取り戻せつつあり、両親それぞれと大人になって初めてサシで食事に行くという奇跡も起きた。
気づけばここで暮らす日常が、かけがえのない人生の一部となり、他に住む拠点を探す気さえ起こらなくなるほどに根を張って、かれこれ3年半も暮らしをともに育ませてもらった。
ここの暮らしで学び得た数々のおかげで、幼き頃からのトラウマで考えることを逃げ続けていた「いつかあたたかな家庭を築きたい」という夢も芽生えた。
語ればまだまだいろんな物語を紡ぎ出せるけど、長くなりそうなので今日はここまで。また気が向けば懐かしき思い出を書き綴ろうと思います。
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▽ウェル洋光台|公式HP