親には親の、子には子の
こんにちは、ゆのまると申します。
今朝は11時過ぎに起床。洗濯が終わるのを待ちながら、買い置きのデニッシュとインスタントコーヒーをすすり、「あぁここが私の家だ」とぼんやり考えていました。
親にご様子伺いの電話をすると、毎回言われることがあります。
「隣のなんとかちゃんが帰省してきていて」「同級生のなになにちゃん、今里帰りしているみたいよ」
つまり、暗に「遠慮しないでもっと帰ってきなさい」というメッセージです。社会が元に戻りつつあるのは喜ばしいことですが、それと同時に、帰省を断る都合のいい口実もなくなってしまいました。
ここ数日、帰省を理由に気分が塞ぎ込んでいた私は、ふと暇になるとネットで「実家 帰りたくない」と検索を繰り返していました。同志を見つけることで、少しでも気を紛らわせたかったのだと思います。
ところが、出てくるのは「義理の実家に帰りたくない」あるいは「実家の居心地がよすぎて自宅に帰りたくない」という声ばかり。
同居人の介護や親の過干渉を理由に「実家に帰りたくない」と嘆くのは、全体の二割ぐらいでしょうか。正確なデータを取ったわけではありませんが、私が抱えている悩みが大多数のそれではないことが、改めてよくわかりました。
成人して仕事に就いて、家庭を持って自宅があるにも関わらず、実家の居心地が「よすぎる」。もし、この方たちの「実家」が、吹き抜けの玄関ロビーでお手伝いさんたちが「お帰りなさいませ、お嬢様」と出迎えてくれて、豪華な調度品に囲まれてお父様お母様とお食事をする……そんなものを指しているのであれば、それなら私も喜んで帰りたいと思うのですよ。でもきっと、違いますよね。
親子関係が良好なのは美しきかな、でもそれも、行き過ぎるとどうなんだろうと思うわけです。
実家を出て一人暮らしをする中で、あらゆる選択をしてきました。
買いたい本・マンガ・ゲーム、何を着るか何を食べるか、家事はいつするかしないか、今日何をして過ごそうか……。
何をするにしても自由というメリットでもありますが、それは同時に自分の好きなものを集めて住処を作るという作業でもあります。そこには本や服という物質的な話だけでなく、流す音楽や行動パターンといった目に見えないものも含みます。
あらゆる物を買っては手放し、あれやこれやと挑戦しては失敗し、そうして少しずつ、私の「安心する住処」を作り上げてきました。
キッチンとの間仕切りに置いた本棚、いつの間にか増えるぬいぐるみ、そしてテレビとニトリの赤いソファ。一日の大半を過ごす四畳半の自室兼リビングは、そんな私の「好きなもの」がぎゅっと詰まっています。
私は自分が思う以上に、「自分で選ぶ」ということに重きを置いているようです。読むものも食べるものも、その時その時の自分の気持ちに素直でありたい。誰かに譲ることがあるならそれは、「その時私がそうしたいと思ったから」に他なりません。
自分の好きなように、自分の好きなペースで。それを妨げられた時のストレスといったら、他に比べようもないのです。
親から与えられたものをおとなしく受け取っていた子供たちも、いずれ自らの「好き」にワガママになっていくはずです。
いくつになっても、子は子。親からしたらいつまでも庇護対象かもしれませんが、現実には社会でつらい目に遭い、何度も転び、それでも手を差し伸べてくれる周囲の人たちと出会います。時には、自分の力で立ち上がらないといけない場面だって。
私が実家に帰ると感じる居心地の悪さは、いつまでも子供扱い・末のきょうだい扱いされ、与えるものだけを受け取れと強制されることが一因です。「子離れできていない」……そう感じるのは、きっと大げさではないはず。
何があっても受け入れてくれる場所。そんな居場所があれば、心の安定につながります。そこに実家が当てはまるにしろ、「実家だけ」がそうなわけではありません。むしろ、恋人や友達や職場、地域のコミュニティやネットの友人、行きつけのお店など、その人自身の力で依存先は増やしていくべき、と考えています。
私の母は、家族の世話を焼くことが自らのアイデンティティになってしまっています。かたや義理のお母さんはというと、「私には私の生活がある」ときっぱり言ってくれるような人。正しい放任主義とでもいいましょうか。
本来あるべき親子の姿とは、子の意思で帰ってきた時には温かく出迎え、そして子が帰るべき場所に帰る時にはほんの少し寂しくなる、そんな、お互いのテリトリーを尊重したものだと思うのです。親には親の生活が、子には子の生活があるのですから。
自分の「好き」を詰め込んだ、小さくて温かな自宅。自分のやりたいように洗濯物を干し、好きな味付けの料理が作れる場所。世界に一つのその家がある限り、私にとってはそこが「最も帰りたい住処」なのです。
そんなことをぽやぽや考えていたら、予報通り雨が降り始めました。ベランダの洗濯物、取り込んでこないと。
気付けばもうおやつの時間ですね。日曜日は残り少ないですが、どうか皆さまも良い休日を。ではでは。