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元うつ病 × ADHD × IQ75のわたしが8,230円を稼ぐまで


こんにちは!ゆうひです。

わたしは、2024年12月20日にこんなポストをしました。


すると、いつもは100~200インプの閲覧数が4倍に、いいねの数は3倍という反応があって、すごく驚きました。


これだけの人たちが見たいと思ってくれるなら、めちゃくちゃ恥ずかしいけど、わたしがコンテンツ販売を初めて01達成をして、出金申請できるまでになった歩みを晒してみたいと思います。


とはいえ、まさかここまで需要があるとは思っていなくて、ノリで無料noteを出すとか書いてしまったけど、

・・・正直書きたくはなかったです。


なぜなら,これからお話するのは“ダメダメなわたし”であり、苦しくて、情けなくて、上手くいってる人と比べて上手くいかずに悩みまくってきた、どうしようもないわたしの本当の姿を晒していくことになるから。


だけど、このnoteを無料で公開する理由は、

わたしのように「何をしても上手くいかない、人よりもどんくさく、万年劣等生だとしても“やり続ける、歩み続ける”ことで、01は達成できるんだ」ということを実感してもらいたいからです。


そのため、

何をやってもすぐに結果を出すことができる人や、スピード感を武器に𝕏を席巻している人や、ガンガン先を進む先駆者を追いたい人が読むような内容ではありません。

し、

読んだとしても、まったく共感できないでしょうし、むしろ不快な気分になってしまうだけです。


だけど、わたしのように、やってもやっても結果が出なくて、小さな小石にさえつまづいて、スムーズに物事が進むことがなくて、

同じ時期に始めた人は、どんどん結果を出していくし、後から始めた人にさえどんどん抜かれていく。

3歩進んで2歩下がるような状況にいて、不安と焦燥の思いに駆られている・・・。


そんな人にとっては、もしかしたらわたしの経験が「救い」になるかもしれない。


「わたしなんて・・」が口グセになっている人が、「ゆうひさんができたのなら、わたしにだって、できる!」と言えるようになる。


このnoteは、その道しるべになるかもしれません。そう思ったから、今回のnoteは無料で公開することにしました。


世の中には、これほどダメダメな人がいて、そんな人でも知識を仕入れてスキルを身に着けるだけで、自力で稼ぐスキルを確実に手に入れることができる。

それを証明するお話は、ここからです。


・・・・

・・・・


幼い頃から万年劣等生


わたしは幼い頃から、「人並みにできること」がありませんでした

勉強しても、成績はいつも後ろから数えた方が早いし、計算は遅いし、すぐミスるし、しゃべればしどろもどろだし、運動はからっきし。


そんな自分だから、クラスの中でも浮いてて、仲間外れにされるのは日常茶飯事。長所と呼べるようなものが何一つありませんでした。


「みんな」の中に入れば、いつも外れたポジションに落ち着くことになってしまうから、わたしはいつしか「一人」でいることを自ら選ぶようになりました。


授業の合間の休憩時間には、好きだった漫画を真似て自作の漫画を書いてみたり、図書館で借りた本を読みふけって時間を潰しているような子でした。


知り合いのいない高校時代には、ほとんど人と話さなすぎて、卒業する頃には失語症に近い状態になっていたほどです。


「ゆうひさんは、コミュ障じゃないですよ。ちゃんと話せてますよ。」
「ポスト、上手くなりましたね」


なんて、最近は言っていただけたりもして、以前と比べて自信を持てるようになったけど、

実は、人並みにできることが本当に少なくて、自己肯定感が持てない、いつも「わたしなんて・・」って思ってるような人間だったんです。


そう。

わたしは「人と比べてできることが少ない」ことに、いつも劣等感を感じていたんです。


わたしだって、みんなのように「数日で、01達成できました~!」とか「たった1週間でコンテンツ10個作りましたー!」とか、言ってみたい。


「えー!すごーい!」
「行動量エグイっすねー!」


なんて、言われてみたい。

本当に、新幹線のような爆速行動で実績を作っていく人を見ていると、羨ましいし、シンプルに憧れます。


だけど、わたしは鈍行列車のように、ちっさいことで何度もつまずいて、3歩進んだら2歩下がるようなコンテンツ作りしかできない。


・・・正直、いっそのこと、もう情報発信もやめてしまおうかと考えたこともあります。


でも、わたしには一つだけ、目立つ方法ではないけど、必ず結果がでる方法を知っているんです。

それが「続けること」と「やりきること」


中学高校を通じて皆勤賞をもらったり、読書をすればちゃんと最後まで読み切る。一つのことを納得できるまでやる。

これって、どうやら普通の人がやれないことみたいなんです。



・・・

このnoteで書いていることは、ひたすら何をやっても上手くいかず、つまづいて転んで、それでも何度も立ち上がって、もがき苦しみながらでも、挑戦し続けている、わたしの本当の姿を晒すnoteです。


このnoteでは、いわゆる「楽に・早く・簡単に」なんていう「01達成ノウハウ」なんて書かれてはいません。

数日で結果が出るとか、ライティングが上手くなるとか、テンプレートとか、そういう技術のお話も一切出てきません。


「みんなのようになりたい」と思いながら、ぜんっぜんそうなれなくて「わたしなんて・・・」とずっと思い続けていたわたしが、


なぜ、いつしか「わたしでも、できる」と思えるようになったのか。その歩みをすべて、お話するだけのnote。


わたしの姿を見て、少しでも救いや勇気を届けられたらいいな・・、そう思って書いたnoteです。


何度もお伝えしている通り、いまのわたしは、

以前のような人を羨んで「わたしなんて・・」と言っていた自分から「わたしにも、できる」と自信を持って言えるようになりました。


周りの人のような、輝かしく自慢できるような実績ではないけれど、01を達成することもできました。

いま、わたしには青虫から蝶に変わるくらいに、「生まれ変われた」実感があります。


自分が掲げた目標には、未だ届かないけれど。

それでも、もがき続けて「わたしなんて・・」と言い続けてきたわたしが、「わたしにも、できる」と言えるようになったいまだから、このnoteにそのいまの思いを残しておきたいし、お伝えする価値があるんじゃないか。


そう思って、いま、キーボードを叩いています。

「みんなと違って上手くいかない・・」
「わたしには何もない・・」
「自分に自信なんて1ミリも持てない・・」
「01なんて達成できる気がしない・・」


そんな人ほど、このnoteを読んでみてほしいです。これから書いていく物語が、あなたの“救いのきっかけ”になるかもしれません。


・・・・

・・・・

しゃべれない、周りと馴染めないコンプレックスまみれの子供時代


お話は、40年以上前に遡ります。

わたしは近所の子どもたちと違って、親の都合で1年遅れて4歳で幼稚園に入園しました。


今でも強烈に覚えているのですが、入園してから初めて違和感に気がつきました。



「みんなが、なにをしゃべってるのか、分かんない・・」


そう。周りの子や先生がしゃべっている言葉がぜんぜん理解できなかったんです。子供心にすごくショックでした。

わたしにとって、幼稚園は外国人の集まりだったんです。お子様を育てている人であれば、これがどれほど異常なことかが分かるはず。


周りとコミュニケーションが取れないから、いつもわたしは絵本ばかり読んでいた記憶があります。

小学生に上がる頃には日常会話くらいはできるようになっていましたが、ぜんぜん上手くしゃべれないんですよね。


自分の意見を言おうとしても、しどろもどろになるし、みんなの会話のスピードが早いと、何を言ってるのか理解できない。

そうなると当然、周りから浮いてしまうし、見下されてしまって、勉強する時も遊ぶときも、いつも仲間外れになっていました。


だから、わたしはいつも図書室に入り浸って、本ばかり読んでいました。

小学生時代からそんな感じなので、友だちもできないし、勉強はからっきしだし、運動すればドンケツだし、歌も音痴だし、顔見知りを超絶極めたような子供時代でした。


ほとんど一人で過ごすことが多かったせいで、高校に上がって、まったく知らない人ばかりが集まる学校に入学してからは、周りとどう接すればいいのか、まったく分からなくて、友だち一人さえ作ることができませんでした。


強制的に入るしかなかった部活以外では、3年間ほとんど誰ともしゃべることはなくて、高校を卒業する頃には失語症に近いくらいに、話すことができなくなっていました。


そう。子供のころから、わたしは「周りとは違うこと」に、すごくコンプレックスを感じていたんです。

ずっと心の底で「みんなのような普通の人になりたい」と願っていたような子供時代でした。


しゃべることは克服!だけどミスばっかり続いた20代


勉強は後ろから数えた方が早い成績だったから、就職するのも一苦労。


筆記試験があるところは、わたしの学力ではとても選択できなくて、就活は面接のみのところを数社選んで応募。

それでもなかなか決まらず、最終的に受け入れてくれた会社の仕事は「ガソリンスタンドの店頭販売員」でした。


毎日、何人ものお客様にオイル交換やクレジットカードや、カー用品をおすすめしなければならない「店頭販売員」。

とてもじゃないけど「しゃべることが苦手なんです」なんていい訳は、通用しなくなりました。


強制的に毎日誰かと話さなくてはならない日々が始まって、「セールス定形文を丸暗記して話す」ことで、なんとかしゃべることに慣れて、3年経った頃には、普通の人のように話すことができるようになりました。


12年ほど勤めたこの仕事で、1番問題だったのはミスること。とにかく凡ミスをしまくるんです。


暗算がとにかく苦手で、当時は自動精算機なんてなくて、暗算しながら手渡しする必要があったので、釣銭のミスは日常茶飯事だったし、

定量にセットしなくてはいけないのに満タンにしてしまったり、オイル交換したお客様の種別を間違えて打ち込んで請求してしまったり、

給油キャップを締め忘れたまま送り出してしまって、残ってるキャップを見て慌てて追いかけるなんてこともありました。

極めつけはガソリン車に軽油を入れてしまったことに気が付かず、しばらく走ってエンジンの不調に気がついたお客様から連絡が届いて、お叱りを受けて平謝りしたことを、今でもよく覚えています。


日常での業務で、こんなことばかり起こしていました。

店頭販売員として勤めてても「なんでわたしは、周りと同じようにできないんだろう・・」って、ずっと思っていました。


30歳を超えても営業成績は上がらず、このままこの仕事を続けていくことや、歳を重ねていくことに不安や焦りが出てきてしまい、わたしは転職することを決意したのでした。


国家資格を取得して、これで将来は安泰・・なんて幻想だと知った30代


転職を決意してから半年間、集中的に勉強をして電気工事士の国家資格を取り、その資格を活かした職場にわたしは正社員として再就職することができました。

が、そこからが地獄の始まりでした。


建築系の職場というのは、いくら知識があろうと関係なく、「現場で即使える技術」があるかどうか。これがすべて。

元来、手先が不器用で、話下手で臨機応変な対応がすごく苦手なわたしは、まったく仕事についていけなかった。


しかも、新築現場以外は、基本的に屋根裏と床下がメインになる仕事です。

夏場はサウナ以上の熱波の中、熱中症で意識を失う一歩手前まで作業することになったり、冬場は水溜まりと配管を掻き分けて、ほふく前進で作業を何十分も続けなくてはいけなかったりします。


二人一組で動くことも多く、片方の技術が現場のレベルに対応することができないと、もう一人の人にすべての負担が掛かってしまうこともしばしば。

決まった休日もなく、朝早くから深夜遅くまで、何日も連勤が続くような過酷な職場でした。


そんな環境の中、わたしは普通の人なら10分もあれば終わる作業が、30分経っても終えることができなかったり、

現場に入場するために必要なヘルメットを忘れてしまって、タクシーで現場と職場を往復して取りに帰ることになったり、

時には、電気を通電したまま作業しなくてはいけない現場もあって、そんなときに誤って通電してる方に触れてしまって、ブレーカーを落としてしまったりもしました。


そんな自分のスキル不足、現場のモラル感、セクハラ、睡眠不足も相まって、徐々に体も心も蝕まれていきました。

朝、起きて出勤しようとすれば吐き気に襲われ、現場でも仮設トイレに数十分籠らなくてはならない日が続くようになってしまいました。


「もう、無理だ・・。楽になりたい・・。」という思いしか、頭を占めなくなっていた、ある年の大晦日。

わたしはついに、「今日家に帰ったら、命を絶って楽になろう。」と心を決めました。


ただ、それは帰宅直前にある方から「正月休みの最期の日に、自分を駅に迎えに来てくれる?」と声を掛けられてしまって、止められてしまったのですが。


声を掛けてくれたその人は、一番最初にコンビを組んでいた人でした。当時はもう、まったく違う現場で作業するようになっていたため、話すこともなくなっていた人だったのに・・。


コンビ時代に色々教えてもらった恩もあって、無下に断ることもできず、わたしは結局、その日に自殺することを思い留まるしかありませんでした。

結局、このことがきっかけになって、わたしはこの職場を去ることになりました。


余談なのですが、この件を通してわたしは「未来の約束を交わす」ことが、自殺志願者をこの世につなぎとめるのに、すごく有効だということを知りました。

もし、近くに心を病んでる人がいて、本気でその人を死の淵から引き上げたいと思ったときは、ぜひ「未来の約束」をしてあげて、その人の心を救ってあげてほしいと思います。


40歳前に発覚した自分の「特性」


この時点でようやく「自分は周り比べて、何かが根本的に違う」ことを自覚したわたしは、意を決して心療内科で色々とお話を聞き、診断を仰ぐことにしました。


結論、「鬱病とADHDのグレーゾーンだね。IQは75だから、人と話が合わないのも仕方ないよ。」とのことでした。

(ちなみに普通の人の平均IQは、100です。)


わたしが周りの人と違って、普通のことが普通にできないのはADHDという発達障害に起因するものであることが、40歳前に初めて発覚したんです。

ADHDは発達障害の一種です。
「病気」ではなく「脳の特性」であるため、「治す」ことはできません。


発達障害だと診断された後は、大きく「問題に対処」していくことで課題を緩和させていく行動認知療法と、「薬」で症状を緩和させる方法とに分かれます。

わたしは1年ほど「ストラテラ」を服用していましたが、ほとんど効果は感じられませんでした。


わたしの場合、強い「特性」としては、

・人の表情や行動から空気や雰囲気が読めない ・細かいところにこだわる
・話にまとまりがない ・好き嫌いが激しい
 ・ミスが多い 
・自分の伝えたいことを思いつくままに話してしまう
・思い込みが強い ・衝動的に行動する ・頭の中が多動 
・気が散りやすい ・忘れ物が多い ・せっかち 
・話すときにテンションが安定しない 
・ゆっくり丁寧に作業することが苦手
・特定のものにこだわる ・完璧に仕上げたと思っても抜けがある
・会話から理解するよりも、文章から読み取る方が得意。
・興味のあることには没頭するけど、興味が無い物にはとことん興味が無い

・・こんな特性を持っています。


そのため、たとえば相手が嫌がってることに気がつかずに、そのまま話を続けてしまって、次からは話しかけてもらえなかったり、

わたしの受け持ちの仕事で、抜けてしまってる部分を、他の人がカバーしなくてはいけなくなって、2度手間になってしまうから、仕事を任せてもらえなくなったり、

上司が意図することをズレた解釈のまま作業して、優先させなくてはならないことより、別の作業を進めてしまったり、

わたしが何かするたびに、人に何かしら不快な思いや、迷惑をかけてしまうような「特性」です。


一言でこの「特性」を伝えるとすれば、

「社会不適合者」

という言葉が、一番すべてを包括した言葉だと思います。


ADHDのグレーゾーン診断を受けてから、わたしは以前よりも、話したり、コミュニケーションを取ることが怖くなりました。


相手に不快な思いをさせてるんじゃないかと思えば思うほど、余計に職場の人と距離ができてしまったりして、人間関係がギクシャクするようになってしまいました。

結局、人間関係が原因で転職を繰り返すようになってしまい、実は今勤めているところでも、次の契約の更新は難しいと伝えられていたりもします。


ADHDグレーゾーンというのは、完全に障がい者だといえるわけでもなく、かといって決して普通ではないという、なんとも厄介な、一生付き合っていかなくてはならない「特性」です。

わたしは基本的に、「普通の仕事はできない」ことを認めざるを得ませんでした。


こんな特性を持ってはいるけど、生きる糧は得なくてはなりません。そのためにどうすればいいのかを思案していた時、

わたしはネットの世界に一筋の光明を見つけることになりました。


「あなたは2000万を稼げるようになるよ」


わたしはこの自分の特性を知ってから、「現実の会社では必要最低限の生活の糧を得ながら、ネットの世界で副業を行い、自力で稼ぐ方法」を模索し始めます。

まず始めにわたしが出会ったネットで稼ぐ方法というのが、「Googleアドセンスブログで稼ぐ」というノウハウでした。


Googleアドセンスというのは、あらゆるサイトに出てくる「広告」のことです。この広告をクリックされれば、設定された金額が収入になるという、ネットビジネス初心者向けのビジネスモデルです。

自分のサイトにアクセスを集めれば、それだけクリックされる回数が増えるので、ひたすらアクセスを伸ばすために、わたしは毎日記事を書き続けました。


そして、わたしはあるビジネスコミュニティに2年間所属し、月3万ほどを収益化させることもできました。

記事を書いて、広告を貼るだけで収入が入ってくる。理想的な稼ぎ方だと思う人もいるかもしれません。でも、まったく「嬉しい」とか「稼いだ」という実感が湧いてくることはありませんでした。


ある時、そのビジネスコミュニティでオフ会が開催されるというので、参加することにしたのですが、そこでわたしがビジネスを続ける目的を決定づける出来事が起こりました。

参加したメンバーは10数人。お酒が入って個々にお話するようになってくると、かなり踏み込んだお話までしてくれる人もちらほら。

その中でもお1人の方に、かなりセンシティブな悩みを打ち明けられてしまい、わたしはその人に思ったことを率直に伝えました。


すると、その人は泣きながら、

「その言葉を聞きたかったんです。ありがとう!!あなたはきっと2000万稼げるようになるよ!!」

と言われたんです。


その当時のわたしの広告収入は月3万円です。

それなのに、その方は2万でも20万でも200万でもなく、なぜか「2000万」という言葉をハッキリとわたしに言われたんです。

それほど、その方にとって、わたしの伝えた言葉には「2000万と同等の価値」があったのだと思います。


わたしが呆気にとられていると、メンバーがぞろぞろと集まってきてしまって、なぜそう思うのか、その理由を聞けずじまいのまま、オフ会は終わって解散してしまったのですが。

ただ、その方はわたしへ「2000万を稼げる可能性」という価値を提示してくれたことに変わりはありません。


今まで、わたしにそんな価値を感じてくれた人は皆無だったので、とても驚きました。

その伝えられた言葉は、今も鮮明に思い出せますし、なぜか根拠なく「その未来はやってくる」と思っています。


だからこそ、当時と稼ぎ方は違ったとしても、その方がわたしに感じてくれた「2000万を稼ぐ未来」をどうしても実現させたいと思って、わたしは今もビジネスを続けているのです。


そのうち、わたしの作ってきたサイトがGoogleのコアアップデートという3ヵ月に1度ある、大きな改変期に、直撃を受けてしまいました。

そうすると、どんな記事をどんなキーワードで書こうとも上位表示どころかランキングに表示さえされなくなってしまうんです。


アドセンスブログでは継続的に稼ぐことは難しいことを思い知らされてしまい、2年間、ずっと休まず記事を書き続けたサイトを閉鎖しました。

わたしはその後、ブログで稼ぐ以外の道を模索し始めます。


𝕏発信の強者&メンターとの出会い


Googleのコアアップデートからブログを閉鎖して、これからどうすれば2000万という金額を稼げるようになるのだろうか?と考えていたわたしは、

Youtubeで知った、あるビジネススクールに50万円を投じて教えを請い、𝕏でアカウントを作り運営してみましたが、結局1円も稼げずじまい。

50万円を投じても1円さえ稼げなかったことに、意気消沈していた2023年の11月。


𝕏のタイムラインを何気なく見ていると、ある強者の方のポストが目に留まりました。わたしは、一気に過去ポストを遡って、ブログを全部見て、「ぜひ、この人と話してみたい!!」と強烈に思いました。



その方が、たまたま福岡に来られる予定があるとのことで、わたしは運よく直接1対1でお話する機会をいただけました。

その方へ「今から、わたしは何をすればいいですか」と質問したら、「とにかく、まずはライティングを学んでください」との返答が返ってきました。


そこから、アドバイス通りに、いくつかの教材を見あさって、ポストを300件ほど見てはみたものの、

自分だけでは「具体的に何をどうすればいいか分からない・・」と悩んでいたときに、とても親身に相談に乗っていただいた、今のメンターに出会い、直接学ばせていただくことになりました。


実は、わたしは𝕏で情報発信を始める前に、ココナラで商品を作成して販売もしています。でも、見事に売上は0。

ココナラでは、あまりにもいろいろと制限が多く、ビジネス活動していくには相性が合わないため、𝕏へと挑戦の場を移すことになりました。


𝕏運用を始めたものの・・・上手くいかない


元々持っていた𝕏のアカウントを使い、ポストしていったわけなんですが、とにかくインプが伸びませんでした。

そこで𝕏強者の人の権威性を借りて、インプを伸ばす作戦に出ます。すると、2桁だったインプが一時的に1000を越え、そこから少しづつインプが伸び始めます。


その時に、福岡でお話させていただいた𝕏強者の方の懇親会に参加させていただいて、レポート企画を打つことをお願いしたら、快く引き受けてくださったのですが。

その時にその方が仰っていた言葉が、今も忘れられません。


「今のメンターがゆうひさんを稼がせるのは難しいと思います。稼がせることができたら、本当にすごいです。」


この言葉を聞いたときはショックでしたが、その方のおっしゃる通りになりました。

インプが平均100を超え始めた頃に打った初企画は、1万インプを越える結果を残すことができましたが、それからすぐにインプは元通り。


わたしは自力で稼ぐ力をつけるため、ある方のコンサルを受けているのですが、その方に7割くらい手を加えていただいて作成した、𝕏での初商品をリリースするも、売上は0。

次に打ったミニ企画も参加者は数人だけ。


自分でビジネスしようとしても上手くいかず、人に学んで半分以上力を借りてまで出した商品が、売れない。成果が出ない。

この時点で、わたしの心は折れかけていました。


「やっぱりビギナーズラックだったのかな。」
「自分の力で稼ぐなんて無理なのかな・・。あきらめるしかないの。」
「でも、発信することは好きだし、あきらめたくないな・・。」


という、葛藤と焦燥の中で、わたしは、もうどうすればいいのか分からなくなっていました。


コンサルを受け始めてさえ、ココナラでの失敗、初商品の売上0、2度目の企画の失敗、という散々な結果が続いて、

このまま同じ人に学んでいて結果がでるのだろうか・・という迷いがどんどん湧いてくるようになってしまいました。

だから、たくさんの無料企画に参加してみたり、他の強者の人にインタビューしてみたり、アドバイスを受ける目的で教材を買ってみたりしてたんです。


すごく最低で最悪なことをしていたな、と今は思いますが、その頃のわたしは、メンターのことも、その人を選んだ自分のことも、なにもかもが信じられなくなっていました。

不思議なもので「人を信じる」ことができなくなると、ビジネスも上手く回らなくなることを、この時に身を持って学ぶことになりました。


01達成の瞬間


01達成した商品を販売する時に、わたしは決意していたことがあります。

それは、商品を販売する時に、何から何までメンターを頼るのではなく、「こうすれば販売促進につながるんじゃないか」と思ったことを、自分なりに考えて販売を進める。ということでした。


いままでは、メンターにポスト1つ、画像1つについて相談させてもらったり、質問していたりしましたが、

今回だけは、自分でどうすればいいのかを自分なりに考えて行動しよう、と決意していました。


試行錯誤しながら、無料プレゼント企画を終了したと同時に、ついに商品のリリースを開始。


すると、しばらくしてスマホに「商品が○○さんから購入されました。」との通知。

それがわたしの01達成の瞬間でした。
・・・・・これまで散々「売上0」が続いていて、まさか。の通知。


わたしは、放心状態のまま、
すぐにビジネスを学んでいるメンターに伝えると、


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「 キ、タァァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「やったね、ゆうひさん」
「 おめでとう!!!!!!!!!!!!」


という身体全体が震えるくらいの喜びの返信と電話が掛かってきて、メンターの言葉を見て聞いて、

わたしは初めて、ぶわわわーーーーーっと、嬉しい気持ちが湧いてきたのでした。


「自分のビジネスとして、責任をもって自信をもって、自分の商品をすすめる。」


その「自責思考」で考え、動くことが本当に大事なのだと、実感した01達成の瞬間でした。

そんなわけで、長く苦しい紆余曲折を経て、コンテンツ販売で初収益を得て、01を達成させることができたのですが、

いままで書いてお伝えしてきた通り、

わたしは元々センスがあったわけでも無いですし、特別なスキルや経験があったわけでも無く、万年劣等生だったし、ADHDというハンデまであって、何をやっても上手くいかない人間だったのです。


01達成に必要だった「自責思考」


手前ミソですが、いまはとても良好な師弟関係を築けていると自負できます。でも、そんな関係になれたのは01を達成してからのお話。

最悪最低な迷走状態だったところから、わたしがメンターとの信用と信頼を回復させることができたのは、メンターの心の広さがあればこそだと思います。

ただ、01を達成し、メンターとの信頼関係が回復できた今では、売上もでず、企画を打っても上手くいかなかった原因が、はっきりと分かります。


それは、

わたしが上手くいかない原因を「人のせいにしてたから」

です。


「言われたことを、やる」
「困ったら、頼る」

そんなことばかりしていたから、結果がでなかったんです。
01達成するために、わたしに足りなかったと思うことは、この2つ。


「自責思考」と「人に喜んでもらいたいという気持ち」です。


「自分で考えて、やる」
「困ったり悩んだらまずは自分で回答を考える。」
「解決できない時には、回答を聞いてみる。」
「教えてもらったら四の五の言わずに、素直に実践する。」

そして、なによりも、1番大事なこと。わたしの出したコンテンツを読んだ人の悩みを解決して、「喜んでもらう」。


すべての情報発信コンテンツは

「自分のため」に作るのではなく、
「コンテンツに触れる相手のため」に作るものなんです。


人に「喜び」を与えて、与えて、与えて、与え続けていたら、売上として、その対価がただ返ってくる。

たったそれだけのことだったんです。


そんな風に考え方を変えてみたら、01達成させることもできたし、メンターとの信頼関係も良好になり、大切に思う仲間も増えて、その後リリースしたnoteも数は多くはないですが、見事に売れるようになりました。

自分の考え方や捉え方が変化するだけで、ここまで結果が違ってくることを知って、いま、わたしは自分が生まれ変わったように感じています。


終わりに


冒頭で紹介したポストにも書いていますが、最近、商品の売上金を初めて出金申請することができたんです。

自分の銀行口座に振り込まれた「8,230」という数字を見て、本当に上手くいかないことばかりだった、これまでのことが思い出されて、言葉にならない思いがこみ上げてきて、わたしはPCの前で泣いてしまいました。


生まれてからずっと、人並みのことさえ、わたしはまともにできたことがなかった。


そんなわたしが、ネットビジネスを始めて丸6年以上。初めて自分で集客して、初めて自分で商品を作って初めて自社商品をリリースして、01を達成できた。


表示された「8,230円」という数字は、

紆余曲折の道のりを経て、心折れそうになりながら、あきらめずにやってきたことが、ようやく、やっと、形になった。

その証。


世の中には、月10万とか月100万とかいう数字が飛び交ってるけど、わたしには、本当にそれ以上、いや数百倍の価値がある数字に思えたんです。

1万円にさえ満たない金額じゃん、と笑う人もいるかもしれない。


でも、この売上は自分の力だけじゃなくて、「これまで、たくさんの人に応援してもらって、助けてもらって、ようやく稼ぐことができた。」という感覚があります。

それを感じることができる、いまの自分のことを好きになれたし、自己肯定感も上がったし、自信になったし、本当にものすごく嬉しかったし、すごく、感慨深かったんです。


「自分でもやれば、できる。」


その確信を持てた。

わたしにとって、この確信を得られたことは、とんでもなく、大きな自信になりました。


万年劣等生だったADHDグレーゾーンのわたしでも、01を達成できたのだから、普通にしゃべれて、普通に友だちがいて、普通にパートナーがいる、そんなあなたに達成できないわけがありません。


「何をしても上手くいかない、人よりもどんくさく、万年劣等生だとしても“やり続けて歩み続ける”ことで、01は必ず達成できる」


その確信をこのnoteから、少しでも感じてもらえたら嬉しいです。

ここまで、わたしが01達成するまでの歩みを道のりを、想像しながら読んでいただいて、本当にありがとうございました。

このnoteが迷っている人へ、少しでも進む勇気を与えられたなら、なによりも嬉しいです。

もし、何か感じるものがあったら、感想をもらえたりすると、ゆうひは泣いて喜びます。笑

ではでは~!


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