綾波レイちゃんのヒップホップ
テレビ版エヴァンゲリオンの最終回で、使徒も人類補完計画もエヴァンゲリオンもない世界が描かれる。
そこで漫画やアニメの定番パターンを、綾波レイちゃんと碇シンジくんが演じる。
食パンをくわえて「遅刻、遅刻〜」と走る女子高生のレイちゃんと、普通の高校生のシンジくんが曲がり角でぶつかるのだ。ここではレイちゃんは普通の人間であり、シンジくんにとっては母親とそっくりな転校生。シンジくんも機能不全家族のアダルトチルドレンではない。「シン・エヴァンゲリヲン」と同じように、「すべてがじつはお芝居だった」のである。
唐十郎の紅テントの幕が開く。寺山修司の田園に死すのラストシーン。虚構は現実と混ざり合い、現実のために色彩を帯びる。
《人類補完計画でみんなを液体にして有耶無耶にすれば、ユイちゃんと一緒にいることになる》、そうした妄想は間違いだったとゲンドウ(=人類の原罪の象徴)は気づいた。
imaginary いま 地鳴り
imojidory いも 地鶏
imaginary いま 奇なり
imojidory いざ 自撮り
わたし アヤナミ
リアルナンバー
虚数が0になって
1になるドリーマー
やがて世界に夕闇が押し迫り、私の影が静けさを小爆発させながら伸びていく。雑居ビルに入った精神科医、消費者金融、コンビニエンスストア。神社から吹く風。ガラス窓の雨粒。通り過ぎていくタヌキ。ああ、人類はこんなにも間違えてしまった。食パンをくわえながら、「遅刻、遅刻〜」と発声することは、実際には不可能である。試してみたら、それは、「ひほふ、ひほふ〜」だった。
そして脳内に降り立つイメージの芯。ヘレン・ケラーがサリバン先生の表情筋を手の感触で確かめて、時間をかけて精神を研ぎ澄まして発した”Water”は、まさに真実のほんとうの”Watar”だったのだ。