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れいゆ大學⑤① みずの・し げお
水野成夫(みずの・し げお)はフジサンケイグループの創業者である。
当初は日本共産党の中枢におり、「赤旗」の初代編集長だったが、1928年(昭和3年)の三・一五事件で検挙されたのをきっかけに、獄中で転向。その後、フランス文学の翻訳者として活動しつつ、国策パルプの事業で台頭し、財界の重要人物となった。特に、池田勇人内閣のブレーンでもあった。
1922年(大正11年)にソ連、中国とつらなる共産主義連動体コミンテルン(第三インターナショナル)の日本支部として非合法に誕生した日本共産党だが、そこから逸脱していった水野は、真逆のイデオロギーを冠するフジサンケイグループを構築していくことになったのだ。
共産主義も、資本主義も、どちらも神なき宗教である。
コモディティ化された人類の思考展開は、ついにテレビとともに心中する。そしてテレビの外部機関に成り下がった現代のインターネットも、やがてバグのようなパターンを消失し、氷の中から蘇る恐竜のように再プログラミングされるだろう。
現代人の未熟さが、良い悪いでものを言う。しかし世界はそもそも矛盾でできている。
昭和23年、GHQマツカサ元帥によって民間放送が解禁され、聖パウロ修道会のパオロ・マルチェリーノ神父ならびに聖パウロ女子修道会は、財団法人セントポール放送協会を設立し、新宿若葉の地にラジオ局であり聖堂でもある「セントポール・ラジオ・センター」を建設した。
その後、セントポール・ラジオセンターから財団法人日本文化放送に改称し、昭和27年3月31日、午後5時半に最初の放送が行われた。
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