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れいゆ大學②② 「満州」と「中洲」 〜嘘と神話とMOTHER

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著者 緒川あいみ





川の中央に土砂などが堆積し陸地となっている地形を「中洲」という。福岡の歓楽街の地名でもある。タモリの十八番ネタである架空の大学、中洲産業大学だ。

では中洲に水が満ち足りたら何と言う。

水が満ちたら、「満州」だ。



ロシア大使館前ではなく新宿駅前に特設ステージをつくり、「ウクライナへの侵攻に反対します。戦争反対!」と、青年の主張をしていた若い企業家がいた。理不尽で不平等な資本主義でつくられた混沌としたビル街で、戦争反対と甘やかな物言いをし、ウクライナへの寄付を勧める、そのグロテスクさ。そのお金が、悲しい抵抗の殺人のために使われるという現実までは責任は持てない。隣近所と挨拶しない現代の日本人が、もっとシンプルな暮らしをしている人たちに対して、あまりに厚顔無恥ではないだろうか。朝鮮戦争の特需が高度経済成長に影響を与えたときから、どだい、他国の悲しみによって戦後日本経済は成り立ち、そして同じ町に住む貧しき者の犠牲によって富んでいる。

人の心がすべての戦争を起こしている。新宿駅前に特設ステージをつくることも戦争である。人の心を思うことからしか、戦争はなくならない。まずは自分自身のいちばんの問題に向かい合うことだ。それから逃げているから、より大きな話に逃げるのだ。あの若い起業家も、ほんとうに思いを届けたいのはウクライナではなく、同じ東京に住んでいる知人かもしれない。


地球というMOTHERは、すぐ目の前にある。自分が座っている場所が地球である。

山之口貘は、このような詩を書いた。

僕の足首が痛み出した
見ると地球がぶら下がっている

彼は沖縄の人だが、琉球沖縄の被虐にとどまらず、地球と自分を重ねた大きな規模で詩をつくるので、あまり理解されなかった。山之口貘はまさに詩壇のモーニング娘。である。



1974年に寺山修司が監督した映画「田園に死す」。ラストシーンで青森の家と新宿駅前東口広場がひとつに融合する。屋台崩し、そしてTOKYO。あるいはエッセイでは「私の母は汽車の中で私を産んだ…」というようなことを語り出す。寺山がアパートを覗いたとき、アパートの住人も寺山という実存を覗いた。

つねに、ここはどこかであり、どこかはここである。そして、ここはどこかではなく、どこかはここではない。

寺山は自宅にいたずら電話をかけてきた若者に、「じゃあ、会って話そう」と言った。もちろん叱るわけではない。演劇が展開する。



俺が昔夕焼けだった頃・・
弟は小焼けだった
親父は胸焼けで
お袋は霜焼けだった
わっかるかなぁ〜
わっかんねぇだろうな〜


1970年代後半、スキャット漫談の松鶴家千とせのこのフレーズが流行した。叙情とナンセンスを混ぜたポエムギャグである。寄席やテレビでの漫談と、レコードのバージョンとがある。

「わっかんねぇだろうな〜」が流行り出したのは、タモリが赤塚不二夫や高平哲郎によってテレビに意気揚々と送り出されたのとほぼ同じ時期だった。タモリが好む洗練されたジャズと、千とせの好むジャズはどうも色が違う。

この夕焼けは、満州の情景である。昭和20年の終戦時、ソビエトで捕虜となりシベリア抑留となった父を残し、母とともに日本に帰ってきた少年の原風景である。だから、上記のポエムのあとには、さまざまなバージョンがあるが、たとえばこう続く。

あるとき 俺を見てた坊やが言った
お父ちゃん お空が真っ赤に燃えてるよ
そしたらお父ちゃんこう言った
大丈夫だ、火災保険入ってっから

少年はジャズ歌手と美容師になりたくて福島の家を出て、東京で宛てどなくさまよっていたら、一人のお姉さんが家に泊めてくれた。その家が漫才師の松鶴家千代若・千代菊の家で、歌の学校や理容師の学校に通いつつも、結局は漫才師の弟子になっていたという。


長年、ビートたけしは「松鶴家千とせが俺のことを弟子だと言っているけど、あの人は俺の師匠ではない」と発言してきた。昭和50年代の寄席では漫才協団(現在の漫才協会)に加入していないのに寄席で漫才をするのは御法度だったので、のちにツービートとなる二人は紆余曲折あり、松鶴家一門に入った。

千とせは詳細なエピソードを語る。名古屋の大須演芸場の楽屋で、中田ダイマル・ラケットと麻雀をしていたら、若い二人組がやってきて弟子になったと。だから、のちに大師匠であるはずの千代若・千代菊がツービートの漫才としての師匠であるという通説は誤りであると語る。

ツービートの台頭と千とせのブームの終焉はほぼ入れ替わりだった。世の中は事実よりも神話がものを言う。また、どのような視点で世界を読み解くかも自由だろう。真偽のほどを語ることは私にはできないが、ビートたけしのつくった神話を飲み込むほどの器が松鶴家千とせにはなかったということだ。

千とせは殿に斬られてしまった。そして、「斬られてしまった」と語りづづけてしまった。「そんなふうに言うなら、破門だよ」と言えばよかったのかもしれない。



「ビートたけしのオールナイトニッポン」で、立川談志がゲスト出演した回がある。談志は「最近の若い子はほんとうにかわいそう。俺たちが何とかしてあげなきゃいけない。その責任がある」と熱心に語るが、たけしは「生き残れない奴は生き残れなくてしょうがない」とニヒルである。

その社会への接し方の違いには、やはり世代的なものがある。終戦生まれの者と終戦後に生まれた者。焼け野原を見ている者と見ていない者。

(しかし、興味深いことに、そこに伝統芸能かそうでないかの違いもあるだろうが、談志は弟子を気分次第で破門にしたり前座に降格させたりし、たけしはある頃までは大勢の弟子をじつの子供のように抱えてきた)




赤塚不二夫もまた父親がシベリアで捕虜となり、母親とともに日本に命からがら逃げてきた。父である赤塚藤七は、憲兵で宣撫官だった。宣撫官というのは日本軍の考えや目的などを中国の人に伝え、混乱が生じないようにする仕事である。

アンパンマンの作者やなせたかしも戦時中、この任務についていた。絵が得意なやなせは、紙芝居をつくって現地の人々に日本軍が安全な集団であると伝えていた。そのためか、やなせたかしは日本軍が中国人に酷いことをしている事実をほとんど知らず、晩年にも「南京大虐殺はなかったと思う」という発言をしている。そこはどうしても譲れなかったようだった。

赤塚藤七は厳しい人物で、不二夫にとって畏怖の対象だったが、周囲の中国人たちに丁寧に接し、慕われていた。不二夫と妹と母が日本に行くことができたのは、終戦直後の混乱の中で、中国人たちの助けがあったからだった。消防車に乗せて逃したのだ。

日本で住処を転々とする中、不二夫の妹は栄養失調で亡くなった。赤塚不二夫の代名詞である「これでいいのだ」は、決して都合のいい言葉ではない。いまある事実をそのまま受け入れ、希望を持って前に進むための言葉である。中国語の「メイファーズ」から来ている。

世の中は理不尽だ。でも「これでいいのだ」。生きている。生きていく。バカボン親子もニャロメもウナギイヌも、近所の奴らにバカにされてばかりだ。でもド根性でがんばる。




赤塚の葬儀での弔辞で、タモリは何も書いていない紙を見ながら言う。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

テレビニュースのテロップの制作者が、タモリが言った「意味の世界」を「陰の世界」と聞き間違えているのは、暗いことや悲しいことも肯定するという「これでいいのだ」の精神を理解していなかった表れである。



タモリのルーツもまた満州である。ハナモゲラ中国語は確かにデタラメだが、源泉は中国四千年の歴史から湧き出る。

もちろんタモリは、赤塚不二夫や松鶴家千とせよりも世代がひとつ下なので、満州生まれではない。タモリの祖父が満州鉄道の駅長をしており、わりと良い暮らしをしていたという。

だから、「日本の人には悪いが、俺の故郷はでっかい満州だ!」と言う赤塚に、タモリは実際には満州に暮らしていないのに、遠い遠い記憶に意識をゆだねることでシンパシーを抱くことができるのだ。

そうしてタモリは終戦記念日の7日後に誕生した。福岡の夏空。


福岡市も大空襲を受けているので、あたりは「やけのはら」だったのだ。

そうしていつしか戦後復興という水が流れ出す。

「満州」から「中洲」へ。

「中洲」から「満州」へ。

そのとき言語は崩壊し、脱構築された。それがハナモゲラだとも言える。



タモリは少年期にさまざまなジャンルの音楽を聴いた結果、ジャズを至上のものとする。

タモリとマイルス・デイビスの対談。マイルスはインタビューを受けながら、ずっと絵を描いている。

「あなたはいい耳をしている」




満州帝国それ自体が、嘘でつくられたような国家だ。

その後の、平和憲法と軍隊が同居する日本も、嘘のような国家だ。

《私》は、嘘から生まれた。



ピノキオは嘘をついて鼻が伸び、ゼペットを助けたのち、捕鯨問題をよそに思い出横丁で鯨ベーコン食べていた。壁には満州の写真が掛けられていた。店主はコロナウイルスの発生源である中国の街の出身だと言う。そのことを気にしている。隣の席には、ロシア人のアニメーション作家が新聞を見ながら、やはり悲しい顔をしている。彼は神妙な顔のまま、そっと指でキツネをする。白い壁に影絵ができる。外は雨。午後5時50分。路地には水たまりに桜の花びら。死体の上に咲く桜が地球に還元される。復活のしらべ。

SOMEIYOSHINO


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