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れいゆ大學④⑨ この世界ってほんとうに現実ですか?
2024年12月9日、未明。
12の随想です。
戦後79年
焼け跡からの復興、朝鮮戦争による軍事特需、高度経済成長、60年安保、新左翼の革命闘争、70年安保、バブル崩壊、湾岸戦争でのPKO、少年たちの猟奇殺人、新興宗教のハルマゲドン計画、ニューヨーク同時多発テロ、アフガニスタン空爆、イラク戦争、福島原発爆発、そして天皇退位で、昭和平成令和と元号変わり、そこにあったのは一人一人の人生だったはずで、森田一義アワー笑っていいとも!でも古舘伊知郎の報道ステーションでも大竹まことのゴールデンラジオでも東京新聞でも読売新聞でもYahoo!ニュースでもないのに、マスメディアが世界を覆う。虚像は実像を上回る。街中に防犯カメラが張り巡らされ相互監視は構築される。虐げられた民を救うための社会運動には偽善を通り越した悪が浸透する。これではとても、岡潔の説く「情緒」は世界に揺蕩えないし、忌野清志郎や高田渡の「ブルーズ」は響いていかないのである。社会がシステムに囲われ、さらに世界を上回っている。私たちがプランクトンだったとき、アメーバだったとき、世界はもっと自由だった。時を超え、現代。絶望と理想のミルフィーユを果敢に生きている。この世界ってほんとうに現実ですか?俄かには信じられません。幻ではないかという疑念が、いよいよ確信を帯びてきました。
日本人
明治の終わり頃、欧州帰りの高村光太郎は久しぶりに目の当たりにした日本人たちを「ダボハゼのような日本人」と評した。ダボハゼには失礼な比喩だが、行動や雰囲気が下品という意味である。現代の日本人はそれどころではない。かつて、「虎のふんどし、ヒグマのパッチ、ムカデの歯ブラシぶら下げて、チャブス山でドンコ釣り、エテコが真似して赤っ恥」と中山千夏は歌っていた。ドンコとはダボハゼの俗称だが、その「じゃりン子チエ」の昭和の風景もいまはない。現代の日本人は、受け身かつ上から目線の生き方で闊歩する。けれど後生大事にしている目先の「損得勘定」とやらも扱えないでいる。器用に生きているという自覚があるなら錯覚で、結果的に損ばかりしている。ネクタイを締めてクレジットカードを持つ人々が、故郷なく親に捨てられたトー横キッズを馬鹿にするならば、彼らこそが宇宙の難民だ。まとっている立場や役割や職業という「建前」にさえも、嘘をついていて久しい。客の目の健康を考えない眼鏡ショップ、自民党みたいな価値観の差別的な日本共産党員、QRコードやタブレットから注文させるカレーショップ。目的も主題も、とっくに崩壊している。この世界ってほんとうに現実ですか?俄かには信じられません。幻ではないかという疑念が、いよいよ確信を帯びてきました。
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