個性は比較でしか生まれない
個性とは、ある個人が持った特別なものである。つまり、社会的な普遍性、いわゆる「普通」とは異なるその人の特別な性質のことを指す。
例えば、身体が平均身長より大きいとか、喋りが上手とか、陽気だとか、そういったものである。私はこれを「比較でしか生まれない」と考える。
「個性は比較でしか生まれない。」を証明するために、A「個性は比較で生まれる」が真であることを証明し、B「個性は比較なしで生まれる」が偽であることを証明する。
このノートではまず1.でBを反証し、2.でAを証明する。この結果「個性は比較でしか生まれない」ことを証明する。
B「個性は比較なしで生まれる」の反証
人間とよばれる生物が1人いる世界を仮想しよう。
それが、未来過去1人でしか存在しないとすれば、そもそもその人間が「人間」という分類であることが定義できない。
なぜなら、「人間」というのは他の種と比較して、異なる特殊な構造を持ったものを指して「人間」というからである。つまり、その人間は「人間」とは呼べない。
さらに特別性について考えると、その人間が一人しかいないため、その人間が「普通」となる。つまり、その人間が持つもの全てに特別性がなくなる。
よって人間とよばれる生物が1人いる世界では個性は存在しない。
たしかに、その世界に「1人だけ存在する」という特別性が生じるようにおもえるが、今仮想している世界が「一人だけしか存在しない世界」なので普通のことであり、特別性はない。
これを、実世界に置き換えて考えてみよう。比較しないということは、その人が普通となり、その人の特別性を考えることになる。当然に矛盾し、その人の特別性は全て普通のものとなり、個性は存在しない。
これもってBの反証とする。A「個性は比較で生まれる」ことの証明
社会のいわゆる「普通」と比較して一個人の特別性を考えれば、それが定義通り個性となる。
以上