原点

俺がUVERworld好きになって初めてYouTubeに更新された曲って何だったんだろうってふと思って調べた。

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この曲だった。

もう今年で8年になるんだね。

俺は22年の人生で4回気胸になって3回全身麻酔の手術を受けてるんだけど、この曲が更新される1ヶ月に人生で最初の気胸になってるんだ。

当時は中学最後の全国に繋がる野球の大会前で、しかも新チームになってから初めて背番号1、すなわち「エース」を自分の力でもぎ取った大会だったから気胸になったことをすごく悔やんだし、憎かった。

この大会で「背番号1」に自分がこだわってた理由は、前の大会に当たる秋の大会で、元々の登録は自分が背番号1でもう一人が背番号10だったけど、最終の登録前にやった練習試合で自分がしたミスでその日のうちに背番号1剥奪を言い渡されたのが悔しくて、最後は絶対に自分が背番号1を付けて投げるって思ってたから。

ミスの原因は、大会前になるといつも調子を落としてたから焦っていたこと。その練習試合が大会前だったこともあって野手陣もピリついてて、先生に聞こえてたかは知らないけど、野手陣から「はよストライク入れろや」って言われ続けて「ストライク入れなきゃ」で頭が支配されてたことの2つが原因だった。

大会前までは調子も良かったし、背番号1もらえると自分でも思ってただけにこの背番号1剝奪されたのがめちゃくちゃ悔しくて、冬の練習は絶対にチームの誰よりも走った。

当時の投手陣のメニューはまず学校の構内(約400mって先輩が言ってたけど真相は分からない笑)を10周してから全体のメニューに入ることになってた。

その後全体メニューでもランメニューがあって、家に帰ってからの自主練で今でも走ってる5.23㎞のコースを走ってた。

当時は5.23㎞23分くらいで走ってて、学校の構内10周がだいたい20分くらいだったから5㎞弱くらいと仮定すると毎日だいたい12~13㎞走ってた笑

当時はもうただただがむしゃらだった。

今思うと自分のRUNの原型ってこの時にできたんだと思う。

今日ツイートしたけど当時すでに一種の「PRAING RUN」してた笑


余談はさておき、その祈りも無事実って、チームの信頼も得て、夏の大会は満場一致で背番号1をもらった。だから今までの分を見返してやろうと思って、予選は強豪とばかり当たるキツイブロックだったけど絶対に勝てると思ってたんだ。

でも気胸になって、1ヶ月後に開催される県大会ですら出場が危うい状況になった。

だから病院のベットで外の景色見ながらすごく黄昏てたんだけど、その様子から何かを察したのか担当だった看護師のお兄さんが話かけてくれて、こう言ってくれた。

「音楽好き?UVERworldって知ってる?超カッコいいから聞いてみて!」

今でも忘れない。この言葉が俺とUVERworldを繋いでくれた原点。

しかも面白いのが、この言葉言われたその日の夜に何気なくラジオ聞いてたら「UVERworldのcore ability studioに再び集合!」が始まって、「あれ?UVERworld?お兄さんが言ってたグループだ!」と思って番組を聞いたんだ。そこで音楽の話や自身のプライベートな話、自分たちの楽曲の話をしてるメンバーに惹かれてUVERworldの音楽を聞くようになった。


俺にUVERworldを教えてくれたあのお兄さんはまだ看護師やってるのかな。

未だに名札に付いてた名前まで覚えてる。(苗字だけだったけど)

いつかどこかで会えたら良いな。

会った時はちゃんとお礼したい。

お兄さんのおかげでUVERworldとUVERworldを愛している人達と巡り会えました。って面と向かって伝えたい。

いつか運命の糸が導いてくれることを信じてます。

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