第一回取材 六角橋地域ケアプラザ

皆様はじめまして。

ラグです。

ラグという名前か、本屋という苗字を付けようかと悩んでおります。


簡単に自己紹介させてください。

都内の大学に通っており、主に観光学を起点にメディア消費、コンテンツ消費について学問をすめております。

記念すべき第一回の取材は六角橋地域ケアプラザさんにインタビューしてきました。











ー始まると同時に気さくに話してくださる原島さん。

ケアプラザは知ってますか?



ケアプラザって実は横浜市に140館あり、福祉関係の総合サービスをする場所なんです。お年寄りのサービスなどに活用ができる場所なんですよ。そして、中学校区に一つある感じです。







ー何故高齢者たちのサービスなのに地域交流なのか








その中でも地域交流というサービスがひとつだけあります。

この活動を通して、六角橋に住んでよかったなと思ってもらえる場所にしております。







ーこの活動には、大学との活動が多く見られますが、どうして大学を選んだのでしょうか。



 地域が楽しいことって考えた時に、六角橋には33,000人がいる中では18,000人は神大(神奈川大学)の生徒です。日中比で言うと半数以上が神大生なんですよ。

そのため、18,000人の力が必要だと感じたからです。






ー地域交流とはどんなことしているんですか。





 小中学生と乳幼児のプール開放をしており、小中学生にボランティアをしてもらい。乳幼児が少し離れたお兄さんやお姉さんと遊ぶことで、親の言うことを普段聞かない子でも聞くようになりました。

昨年まではハロウィンだったんですけど、コロナウイルスの影響で中止を余儀なくされました。

 しかし、今年も何かプロジェクをしたいということで、「ちびっこサンタがやってくる」などを実施してますね。

そのプロジェクトの基盤として、現代の若い人って地域の離れが著しく、地元の商店街ではなく、大型のショッピングモールなどに出向いて、しまうんですよね。

 なので、地元のことをよく知らないってことがあるんですよ。

そのため、地域交流をするためにクリスマスイベントを行うことで、地域の子供と六角橋に住む人、六角橋商店街地域との交流に賛同してくださるんですよ。

 また、ハロウィンのこの発想はUSJのゾンビナイトをやりたかったんですよ。(一同笑う)


 それを六角橋に輸入して、やりたいと提案しました。

最初は、上司からはいい顔はされませんでしたが、これも子どもと六角橋の交流とすれば、できるんですよ。

他にも、ドトールさんと地域ののコラボなどもやっており、学ぶ講座だけではなく、認定証の発行や、地元にサロンを作りコミュニティの形成しております。






ー神大とのコラボってどのようなものがありますか?



 神大とのコラボとしては『神大マルシェ』があり、年に一回大きなマルシェを開いており、特産品などを神大に持っていき、販売などをしており、1,000人ぐらい集まったりします。

 他にも、『オハナの遊び場』では地域の子供と神大生が公園で鬼ごっこをしたり、『キャンドルナイト』では神大にキャンドルを置いて、自分たちの作った、キャンドルを見にきたりなど、大学との様々な活動をしています。

コロナ禍での活動では、学生の食の支援をする『まちSHOKU』というプロジェクトをしていました。






ーホームページなどにもありました、『オレンジプロジェクト』とはなんですか?


『まち×学生プロジェクト』の中に『オレンジプロジェクト』があり、『まち×学生プロジェクト』自体には4つのプロジェクトが存在していて、『六神祭(六角橋商店街と神奈川大学の文化祭)』と『神大マルシェ』と『オレンジプロジェクト』、そして『キャンドルナイト』を年間4つを回してます。

 『まち×学生プロジェクト』のきっかけとしては神大のボランティアサークルが来て、はじめました。

 でも、始めたはいいものの何から手をつけていいのかわからなく、学生と認知症の勉強などもしましたが、頓挫してしまいました。

 そこで、切り口を変えて、10月1日の乳がんの日を題材にしました。

世界中で、ランドマークにピンクのイルミネーションをして、啓発活動をしており。

 その系列で9月の28日がアルツハイマーの啓発デーで、テーマカラーはオレンジだったのでオレンジ色で高齢者がおおい六角橋商店街を染めようと考えました。

最初は理解されなかったが、活動をしていく中で年々協力してくれる店舗が増えました。

5年経って、現在ではポスターなど、地域にも根付いたものになっています。






ー今後の原島さんのビジョンとは?




 地域のアプローチを違う側面からしていきたいですね。

学生自体が帰ってこれるような街にしていきたいですね、そうすることで力があるまちづくりの根幹になればいいなと思っています。













まとめ


私は今回取材していく中で原島さんの人間性と六角橋というフィールドのポテンシャルがいきているなと言う印象を受けました。

今回の、記事には書きませんでしたが、原島さんは大学時代バックパッカーとして20ヵ国旅をするなど、行動力がある方でした。

2011年にアメリカで、電車に乗ってきた、黒人の方にお金を寄付した際、その方から、「どこ出身だ?」と聞かれた際「日本です」と答えたところ、東日本大震災で甚大なる被害がある中で寄付してくれるなんて、と寄付したお金以上の支援金をもらった。

そのような人間味があり、温かいコミュニケーションが原島さんが六角橋という、フィールドで地域交流がうまくマッチできてるように感じた。

 私個人としては、地域としてのコミュニティはもちろん大切であり、そのコミュニティを再生させようとして、大学でも街おこしがあるとかんじている。このように今後も注目されていくプロジェクトの一つでもある。

 私はこのプロジェクトは地元をよく知り、地元で育った人が関わっているものだと考えていた。
 しかし、原島さんは生まれも育ちも横浜でも神奈川県ではないものの、大学で学んだ福祉や、海外経験を活かし、新しい視点から六角橋を切り開いた。

 そして、これらのプロジェクトを受け取り、協力する商店街や学校といったコミュニティのあたたかさにも気づかされた。

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