「バナナハンガー」
これがなかなか面白い。
なんとなくは知っていたけれども、やはりなのだ。
ただ、木に生(な)っているみたいに吊るしておく。
想えば、子供の頃から傷んだバナナは苦手だ。
黒くて熟々したあの部分。
食べられない訳じゃあないけれど、なるべくなら敬遠したい。
そんな悩みが解消される。
悩みというと大袈裟になる。
だだ美味しく、バナナを食べたいだけ。
意外にバナナって繊細な奴だ。
横にしておくと、自分の重みで傷んでゆく。
冷蔵庫で保存しても、たいして日持ちしない。
外に出しっぱなしだろうが、冷蔵庫の中だろうが、酸化はするから…。
なので、熟れてく速度は、ほとんど変わらない。
茶色い斑点が出てきて、キリンみたいになったら食べ頃だ。
さて、バナナハンガーである。
バナナを引っ掛けられれば、それでコトが足りる。
つまり、彼じゃなくてもいいのである。
しかも、それほど劇的に味が変わるわけではない。
どうしたってバナナ以上でもバナナ以下でもない。
ぶっちゃけ、別にたいして必要じゃない。
むー、三男坊みたいなもんか??
次回につづく
(ピンチ!バナナハンガーの運命やいかに!?)
後編
前回の最後の段落で、
「別にたいして必要じゃない」
と結論付けられたバナナハンガー。
まるで実の母親に
「アンタなんか産まへんかったらよかったわ」
と言われた時のようなショックを受けたであろう。
ああ、バナナハンガー君が、ギター片手に日本語で
ボサノヴァを歌っている姿が目に浮かぶ…。
バナナハンガーの名誉のために言っておく。
この「別にたいして必要じゃない」感じ。
これこそが大切なんだ。
必要か不必要だけで淘汰(とうた)されてゆく現代。
あくなき合理化を追求する資本主義社会において、
バナナを引っ掛けるという命題だけを遂行する物質。
なんなら別の物でも代わりが利くかもしれないという地位。
僕はこのバナナハンガーに、道具を超越した芸術性を感じる。
子供の頃、好きだった歌に、
♪ バナナが一本ありました~
バナナン バナナン バ~ナ~ナ♪っていうのがあった。
中学の時に、バナナン バナナンの「ン」が、
ちょうどロックンロールの「ン」と同じという事に気付いた時は、
昼寝中にバナナが口に飛び込んできたくらい驚いてしまった。
オードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」で
♪ We have no bananas today(もうバナナは売り切れました)♪
と歌うレコードをかけるシーンがあった。
サブリナパンツの由来がこの映画だという事に気付いた時は、
ローマの休日中にバナナが口に飛び込んできたくらい驚いてしまった。
そういえば大好きなウディ・アレンの映画に
「バナナ」ってあった。
あれは革命コメディーとでもいうのかな?
バナナには実力者とか大物って意味もある。
バナナハンガー、少し意味深な気がしてきた。
さぁ、明日はいつものあの店で、
バニラビーンズ入りのバナナジュースを飲もうと思う。
【2005 HP更新】
#なごみの手帖