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「人の器」

器が大きいとか小さいとか、人はときどき口にする。
“人の器”とは度量の大きさや才能の有無。
当然、その器が小さいと何かと取りこぼす量も多くなる。
なので器が大きいに越した事は無いんだろうな。

“人の器”の大きさって、きっと他人が決めるものなんだろう。
俺様は人間がデカい!なんて自分で言う人は人一倍小さい感じがする。
本人が器の大きさを誇示すればする程、器の小ささを露呈することになるから不思議だ。

また“人の器”は、鑑定する人に大きく左右される。
鑑定する他人に見る目がなければ、それは普通の器でしかなくなるから。
例えば、すごい人と遭遇して「この人はスゴイ!」と言える人はスゴイ!
目の前の才能に気付けるという才能。
器の大きな人の周りには、大きな器を受け入れられる器の存在が不可欠なんだ。
逆に、大きくみえる器が“上げ底”なのに気が付かない人のどれだけ多い事か。

きっと“人の器”って、こんなにも入ってますよ、と見せるもんじゃあない。
それこそ“上げ底”になっているかもしれないのだから。
それよりも、これだけ受け入れられますよ、と空っぽの器を見せるべきかもしれない。

#なごみの手帖   [ 2006年6月10日(土) ]

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