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「世界はそれを和と呼ぶんだぜ」
スポーツや格闘技といった勝負の世界に憧れる。
音楽の世界では勝敗というのが見分け難いものだから。
ショービジネス的には音楽だってお芝居だって興行的な結果が出ないと負けだ。
これは芸術的な観点で言うと殆んど意味がない。
セールスでしか音楽を評価出来ないのは音楽を理解していない人の意見だから。
とレコード会社の人が言っていた(僕じゃないです、笑)。
柔道、剣道、空手なんかと並んで合気道というものがある。
もちろん日本で成立した純国産の道。
もっと正確にいうと武術ではなくって護身術だ。
つまり、他人を倒すためのものじゃない。
なので勝敗を決める大会もない。
合気道は“自分を高める”ためにあるらしい。
ウディ・アレンがアカデミー賞の授賞式に出席しなかったのは有名な話である。
他人の評価には縛られたくないのだそう。
良い評価を受け入れるということ。
悪い評価をされた時にもそれを受け入れなければならないということ。
自作に対する批評も読まないという。
現代人の人生なんて競争ばかり。
小学校のかけっこに始まって、受験、出世、マイホーム。
競争原理に基づいて人類は進歩してきた、という考えの人も多いかもしれない。
競争の末に勝利至上主義がもたらすもの。
それは“勝ち組み・負け組み”という言葉に表されるような、如実な格差だ。
それは高校野球レベルでも松井秀喜を全打席敬遠するというスポーツマンシップだ。
それは馬鹿だと軽蔑され、はたまた賢いと嫌がられる、心の貧困だ。
そしてそれはイメージ先行の社会において物事の本質を歪曲する。
他人の目ばかり気にしてる自分。
ただ自分自身の価値観で生きられたらどれだけ素晴らしいだろう。
自分自身と対峙し自己を高めていきたい。
だって人生や表現は、自分自身の達成感こそが最大の評価であるべきだから。
そして灯台下暗しとはこのことだ。
この内面を鍛える感じって日本文化の象徴じゃないか。
合気道も茶道も禅も云々も。
最近とみに、回りまわって殆んど逆輸入の状態で“和”の美を再発見している。
僕が言うとなんか“抹茶アイス”みたいだけれども。
#なごみの手帖 [ 2006年5月6日(土) ]