「チョコレートよりも甘いもの」
バレンタイン、年に一度だけ女の子から告白できる日。
別に、いつでも気が向けば女の子から告白すればいいんだけれど。
“好きです”と言えない内気な人でも積極的になってもいい、って世間的に許されている日。
その合図はチョコレートを渡すだけ。
淡い恋にとっては何て素敵なイベント。
本当ならばこんな風に活用すべき日なのに、どうもイメージが安っぽい気がする。
義理チョコが多すぎるからだな、きっと。
OLさんとか水商売の人とかのツールになっているイメージなんだ。
学校を卒業して社会に出ると、いろいろあるのは分かる。
分かるんだけれども、多すぎるんだな、きっと。
この大人の女性の感じが、幼い恋心を傷つけている気がする。
しゃべった事も無い憧れの先輩が一人になったときに、すかさず走っていって、
「あの、これ…。」
と言って手渡す、あの感じ。
僕は男性なので経験は出来ないけれど、そのドキドキ感は察する。
(何が、“あの、これ…。”だぁ!?子供じゃあるまいし。)
などと思った人は要注意だ。
“あの、これ…。”は、子供のおまじないだからである。
これが出来ない人は、チョコレートが含有する魔法の力の恩恵が受けられない。
理由は特に無い。
でも、なんか、嫌なんだ。
折角のイベントだから、もっとロマンチックに行こうぜっ、みたいな気になる。
そう、バレンタイン・デーはチョコレートを渡す日ではない。
チョコレートに便乗して気持ちを渡すのである。
チョコしか贈らない大人の女性の、いかに多いことか。
残念ながら、男にはこんな便利な日は用意されていない。
“好きです”と言う日を、自分で作らなければいけない。
いつ、どのタイミングで、何を片手に…。
で、結局は“好きです”が言えずに、後悔してきたという男性は多い筈だ。
男なんて、意外に根性が無い生き物だから。
一人の女性につき、チョコは一個だけしか売らなければ、なかなか面白いと思う。
大切な一個は、本命の男性にしか渡さない筈だから。
バレンタインの意味、つまりチョコレートよりも甘いものが、そこにはあるように思う。
ドキドキ感のないバレンタインなんて、カルピスのない夏休みみたいなもんだからな。
で、バレンタインの意味というか、日本のバレンタインの意味はなんだろうか?
某お菓子メーカーが仕掛けたという、チョコを贈って告白する企画。
子供の頃から、どうも日本っぽいな、と思ってはいたんだけれど。
この純愛でウブな感じが、日本人のウェットな感覚に似合うのだろう。
そして、チョコレートといえば、南米大陸からヨーロッパへ伝わり、日本へやって来た。
唐辛子やジャガイモやトマトや、多くの神秘的なイメージの食べ物は、南米産なのである。
カカオには、いわゆるカフェインやアルギニンといった、興奮作用のある物質が含まれている。
こいつが、いわゆる媚薬の効果をもたらす可能性は否めない。
なので、チョコを贈って告白するというのは、本当には大人の恋の意味が強いのかもしれない。
だとすると“あの、これ…。”なんて言って、手渡しする女の子は相当な曲者(くせもの)に違いない。
#なごみの手帖 [ 2006年2月4日(土)HP更新 ]