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子どもを産む産まないに関わらず、社会に参加するひとりとして、未来がよくなることに寄与したい。ライター・杉本恭子さん|グッド・アンセスター・ダイアローグ

はじめに ─『グッド・アンセスター』を読んで─

わたしたちは「よき祖先」になれるかーー
この問いは、わたしが未来世代へつながるひとりであることを思い出させる。そして、誰もが自分ごととして受け止め、それぞれのもち場で応答できる投げかけだと感じる。

どうしたら、自分なりのギフトを遥か未来世代へ受け渡すことができるか。
まずは、わたしの「グッド・アンセスター」を考えること、そして、誰かの「グッド・アンセスター」を聴くことから、"問い" を始めたい。

インタビュー|杉本恭子さん(ライター)

第一回目のインタビューは、杉本恭子さんにお願いしました。
杉本さんは、“そのひとのありのままを「聴く」”ということを大事にされながら、さまざまな職種・地域の方々にインタビューされています。彼女が書くことばは、記事というより物語のようで、いつもこころを動かされます。
そんな、たくさんの方の声を聴いてこられた杉本さんは、誰を「グッド・アンセスター」として選ぶのか。また、「よき祖先」になることをどうとらえているのか。興味深くお話を伺いました。
(インタビュー・構成:小関優)

杉本恭子(すぎもと・きょうこ) 
大阪出身、京都在住のフリーライター。同志社大学大学院文学研究科新聞学専攻修了。地域づくりをする人、研究者、経営者、宗教者などへのインタビュー記事多数。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。 
https://writin-room.tumblr.com/

「先祖」ではなく、「祖先」ということばにしっくりきた 

ーー 恭子さんにとっての「グッド・アンセスター」を教えてください。

杉本 松本紹圭さんから「『グッド・アンセスター』という本を翻訳したい」というお話を聞いて「祖先」と「先祖」の違いを考えていたとき、「私は「先祖」ということばがしんどいな、とずっと思っていたんだ」と気がついて。この10年あまり、たくさんのお坊さんたちにインタビューをしてきて、プライベートでもいろんな話をするようになって「仏教好きだな、お寺いいな」と思うようになったけれど、唯一しっくりこなかったのが「先祖」ということばだったんですね。

実は、この10年というのは、自分が子どもを産まない人生になっていく、「私は先祖になれないな」という思いを抱えていく年月でもありました。先祖になるどころか、自分が葬儀されるかどうかもわからないと今でも思っています。自分を「先祖」とする人はいないというある種の喪失感のなか、「先祖」ということばをどう自分ごととして引き受けていけるんだろうか、と。

一方で、お寺を預かっているのは寺族、つまり家族です。おそらくお寺の方たちは「自分は葬儀されるだろうか?」と考えることはないと思います。これから私のような人は増えていくだろうし、すでに遺骨の引き取り手がない人もいると聞きます。そこでお寺は、「家族で先祖供養するのが難しいなら永代供養墓にしましょう」と考えられるのだと思います。

でも、「それって本当に解決なのかな」と思っていたんですね。部分的には解決するだろうけど、根っこにある問題に触れられないままじゃないかという気持ちがずっとありました。

では、お寺を預かる寺族は供養されるから幸せなのか?というとそんな単純な話でもありません。跡継ぎとして期待されて生まれ育ち、「家族やお寺に人生を縛られる」と苦しまれる方もいます。それでも「先祖」は大切だと説くお寺と、私の感じている「先祖」の苦しさ。どうやってことばを合わせていけば、「先祖」をほどけるのかなともやもやしていました。

だから、『グッド・アンセスター』で、松本さんが「ancestor」を「先祖」ではなく「祖先」と訳されたときにしっくりくるなと思ったんですね。子どもを産む産まないにかかわらず、自分はこの社会に参加するひとりとして、社会がよくなることに寄与したいと思っている。そのことが未来を作っていくという実感はすごくある。私は「先祖」になれなくても、「祖先」ではあるはずだと思えました。

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「先祖」というコンセプトが生きる共同体のサイズがある

杉本 では、「先祖」というコンセプトは現代社会に生きる人をすべからく苦しめるのかというと、必ずしもそうではないとも思っています。私は、人口数千人規模の中山間地域の方たちに取材することがあるのですが、「このサイズの社会なら『先祖』でいいのではないか」という思うことがあるんです。「家族」単位でものを見ることが適している共同体サイズであれば、よき家族であろうとすることと、グッド・アンセスターであろうとすることにはそれほど乖離がない。小さい町でも、子どもを産まずにおひとり様で老いていく人はいますが、地域のなかで関わり合って生きていれば、孤立しないのではないかという気もして。

同じ日本の社会でも、すごくまだらになっている。家族制度がすべて崩壊しているわけじゃないし、お寺のあり方も都会と田舎では全然違う。お寺一つひとつのあり方も違う。そうなると、一様に「先祖」という考え方が苦しいというわけじゃないな、とも思えます。人類が「よき先祖」「よき祖先」であろうとしてきたなかで、ある期間・ある規模の日本社会では、先祖教的な考え方でお墓を作ることが、「よき祖先」であるために良いあり方だったのかなと思います

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ひとりのグッド・アンセスターを選ぼうとすると、その人に関わった無数の人が見えてくる

杉本 良き祖先、グッド・アンセスターって何だろうと思うと……。たとえば、仏陀は間違いなくグッド・アンセスターだろう、と思います。

でも、仏陀はなぜ仏陀になり得たのかというと、縁起のなかで起きたことではないかと思うんです。仏陀が仏陀になっていく過程には、同時代に生きた人や、仏陀以前に生きていた人たちが関わっていて、その時代の状況も大きく作用しているはずです。そう考えると、仏陀ひとりを選ぶことで取り残されてしまうグッド・アンセスターがいっぱいいるよね、と。傑出したひとりが現れるとき、そこにはその人に関わった人たちや、その人に気づきを与えた何か……無数の要素が絡まっている。そうなると、ひとりのグッド・アンセスターを名指しすることは、よき祖先を考える上でいいことなんだろうかと思い始めて……。

尊敬すべき人たちはたくさんいるけれど、そのなかから誰かひとりを選べないなと思ってしまいます。むしろ、「この人」と決めることはグッド・アンセスター的な考え方じゃない気がする、というのが今感じていることです。

ーー 恭子さんの今に繋がる部分で、この人がいてくれてよかった、と思う人はいますか。

杉本 自分の仕事に繋がるところだけでもすごくたくさんいます。はじまりの部分では大学の恩師。先生との出会いがなかったら修士論文も書けなかったし、修士論文がなかったら今の仕事や関心にも繋がっていなかった。論文を書くときに参照した本の著者をグッド・アンセスターと呼ぶこともできるでしょう。仏教に興味を持つきっかけでは法然院の梶田真章さんとの出会いが大きかったし、仏教を自由にもみほぐして考えていくところでは、まつけい(松本紹圭)さんの存在が大きかったです。

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“ことば” はグッド・アンセスターになるための最強のツール

ーー『グッド・アンセスター』の冒頭に、「私たちは皆、過去からのギフトを受け取って生きている」ということばがあります。今、恭子さんが受け取っている「過去からのギフト」は何でしょうか。

杉本  “ことば” でしょうか。ことばが発明されたから、昔の人たちが考えたことや伝えたかったことを受け取ることができる。その仕組みが作られたから今の社会が出来上がってるからです。 

ーー 私もことばだなと思っていて。でもきっと、なぜことばなのかという部分は、微妙に違ってくるんだろうなと。 

杉本 ことばには、自分も他人も傷つけてしまうという側面もあります。ものすごく扱いが難しいものですけど、ことばがあるから前より良くなれるし、過去に起きたことを捉え直すことができる。それこそグッド・アンセスターからのメッセージを受け取るためにも、自らがグッド・アンセスターになるうえでも、最強のツールは、ことばだと思います

たとえば、昔に比べれば食べるに困らない社会が設計できたり、会いたい人にそれほど時間をかけずに会いに行けたり。こうしてオンラインで話ができるプロセスを考えるだけでも、開発を可能にするまでに関わった無数の人たちがワーッと見えてくる。そうすると、やはり「誰かひとり」を特定できない感じはありますよね。現在のあらゆる状況は、やっぱりコンピューター言語を含めての“ことば”の積み重ねではないかと思います。

インタビューを終えて

杉本さんのお話を伺い、近しい思いに勇気を得たり、フレームが広がったり、自分の考えがぐらついたり、多くの気づきをもらいました。
「すべて縁起のなかで」という杉本さんのことば。それでもわたしはあえて誰を選ぶのか。何をたいせつにしたいのか、どう生きたいのか。そこにつながる問いとして、わたしにとっての「グッド・アンセスター」を考え、「そうなるためには」を考えていきたいです。

杉本恭子さんの記事紹介

さいごに、感謝の気もちを込めて、とくに好きな恭子さんの記事をご紹介。

▼「聴く」ことについて洞察された記事。記事内の橋本久仁彦さんへのインタビューも必読。涙が出ます。

▼お母さまの死を受けとめるために綴られたエッセイ。胸の奥から掬いだされた言葉、お母さまが変わっていくことへの感情、胸を打つ写真。

▼神山町に暮らしながら活躍する女性たちについての連載記事。活動内容とともに、彼女たちの人生を聴かせてもらっているように感じます。

▼恭子さんがインタビューを受けた記事。恭子さんの姿勢がここに。聴くこと、問うこと、記事を作ること、そしてインタビュー相手への敬意。


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