私の頭の中の三河屋のサブちゃん
先日、夢で三河屋のサブちゃんと会った。
あの『サザエさん』に出てくる、磯野家の勝手口からいきなり入ってきては雑談をしたり注文をとったりするご用聞きの若者だ。
ググって顔を見てもらえばピンとくる方も多いと思う。
私はその日夢の中で、引越し後の荷ほどきをしていた。
新居の寝室でベッドの組み立てをあらかた終えて、ひと息つこうとしたそのとき。
「ちわー、三河屋でーす!」
と、玄関から聞き覚えのある声がした。
うわ、サブちゃんだ。面倒なのに見つかってしまった、と思った。
数年前、抑うつの状態が強くなってからは特にだろうか。私はサブちゃんのような、明るくて誰とでも気軽に打ち解けられて、家族みたいに深く温かな関係性を築くのが得意な人間が、正直ちょっと苦手だった。
せっかく引越しをして既成の人間関係とは少し距離をおける機会だというのに、いきなりこうしてプライベートが侵食されては面白くない。
しかも相手はあの快活なサブちゃん。最悪だ。
というかサブちゃんはどうやってウチの情報を掴んだのだ。
そんなことを考えながらも、仕方がないのでお茶を入れてサブちゃんを招き入れる。表向きには愛想笑いをして、適当に話を合わせようと思う。
しかしサブちゃんの様子もなんだか少しおかしい。いつものような元気がなく、どこか疲れているふうに見えた。
柄になくうつむきがちなサブちゃんの、雑なリーゼントみたいなよくわからない髪形も、しょぼくれて下を向いていた。
聞けば、サブちゃんは悩んでいるようだった。
近ごろは昔のような地域社会との密なつながりは薄れてきて、郊外でもご近所づきあいにあまり積極的でない家庭が増えている。
ましてインターネットが普及した今は買い物なんてスマホで済ませられるから、わざわざ小さな三河屋を利用してくれることなど珍しい。
ご用聞きのような飛び込み営業のスタイルも露骨に嫌な顔をされるばかりで、今の時代はとっくに通用しなくなっているのだと。
「警察を呼ばれちゃったこともありましたよ」
と苦笑するサブちゃんを見て、私は心苦しかった。
私自身、地域の温かなつながりとは最も縁遠い人間のひとりだ。
人と深い関わりを維持していく仕事なんてとても続けられない人間だ。
グローバル資本主義による地域コミュニティの崩壊と個人主義化の波がもたらしたのは、しかし悪いことばかりではなかったようにも思う。
ローカルな集団にうまく馴染めない人、リアルな対人関係が辛くて仕方ない人にとっては、その呪縛から自由になれる逃げ道にもなった。
私みたいなのが在宅ワークでもなんとか生きていられるようになった。
ただ一方で、彼みたいなのは地域で居場所を失いつつある。
なかなかうまくいかないものだ。
「でももう後には引けないんです」
とサブちゃんは言い、私はうなづくしかなかった。
グローバリズムの台頭とローカリズムの復興とのせめぎ合いの中で、私もサブちゃんも、各々で悩みながらもがいていくしかないのだろう。
また町へ繰り出していく彼の後ろ姿を、見送るか見送らないかくらいのところで、私は目を覚ました。
すっかり朝だった。
なかなかうまくいかないものだ。
あちらが立てばこちらが立たない。
いずれにせよ、せめて各々の悩みを吐き出せる場所だけはあったほうがいい。どちらかが犠牲になるのではいけない。地域のつながりがどうあれ、精神的なつながりまで絶たれない努力が必要だ。
サブちゃんのLINEでも聞いておけばよかった、と私は後から思ったのだけど、そのころには外で小鳥がちゅんちゅん鳴いていた。
突然のご用聞きの訪問にうなされて寝相が悪くなっていたのか、私の頭はひどい寝ぐせがついて、雑なリーゼントみたいになっていた。