受付嬢京子の日常⑦
声が出ない…。原田京子は職場のリーダー斎藤友美と食事をしている。少し前まで、流行りの歌の話をしていたはずだ。ワインをグラスで2杯。このあとカラオケに行こうと楽しい気分だったはずだ、と京子は自分の感情の変遷をたどる。
「…だからね、京子ちゃんが一番先輩ってことになるから。新しい子も入ってくるし、ちょっと大変だと思うんだけど…」
京子の様子に気づいていないように、友美は話し続けていた。京子達が働いているのは、駅直結のビル、エキモのインフォメーションだ。いわゆる、受付嬢だ。そのリーダーが異動で、駅の4階にあるインフォメーションに行くという。
「それって…リーダーの代わりをするってことですか」
ようやく出た声が、あまりに低く、京子は自分でも驚く。友美には、冷静に聞こえただろうか。それとも、不機嫌に聞こえただろうか。京子の胸に不安がよぎるが、今はもっと重大な問題がある。
「それは大丈夫。リーダーは私だし、シフトはマネージャーが組んでくれる。京子ちゃんは、先輩として、他の子達がわからないこと、教えてくれたらいいから」
友美はインフォメーションに唯一いた正社員だ。リーダーのままだというのは、ただの肩書きに過ぎない。現場にいないということは、これまで頼って来たことが頼れなくなるということだ。リーダーではないとしても、一番上の立場として扱われるというのは、何事もなくインフォメーションで働きたい、と思う自分にとってこの上なく不自由な立ち位置だと、京子は思った。頭が冷えて行くのがわかった。ワインの2杯のアルコールなど、なかったも同然だ。
ショックを受けていようが、次の日の朝は来る。リーダーとともに遅番だ。
「斎藤さん、4階に行っちゃうんだって?」
警備員の高田登が出勤したばかりの京子に話しかけてくる。高田登は、喋るのが好きだ。そのせいか、エキモ内のことをよく知っている。情報の精度は8割程度で、2割は間違っている。本人は気づかず、訳知り顔で話をする。陽気な雰囲気に騙されて、店舗のスタッフもよく話をしているのを見かける。間違っている噂を流されているとも知らずに。今、高田が口にしたのは、まだインフォメーションでも発表前の人事のはずだ。京子は高田の奥に警備隊長、三島の姿を見つけた。
「隊長、多分これ、まだ未発表なんです」
大袈裟に困った顔をすると、高田がわざとらしく口を手でおおう。
「原田さんなら知ってるかなと思って。ごめんね。知らなかった?」
「私は知ってますけど、他のメンバーは知らないことなんで、内緒でお願いします」
唇に人差し指を当てて、ポーズを作る。我ながら、あざといと京子は、思う。本人ではなく、隊長に告げたことで、気分を悪くしているかもしれない高田に向かって、可愛いげのある顔をしたつもりだ。こんなことで機嫌が取れるなら。それでいい。謝るつもりはない。
「ちゃんと言っておくから」
三島の声が低音で落ち着いていて、京子は好きだ。ふっと見せる微笑みが、大人だなぁと感じる。もうすぐ定年だと、リーダーが教えてくれた。優しい雰囲気とは裏腹に、有段者で強いと聞いて、京子はさらに好感を抱いた。強い男性はかっこいい。それを前面に出さず、優しい雰囲気で口数が少なく落ち着いた雰囲気がさらにかっこいい。隊長が30歳若かったらいいのに、と京子は本気で思う。京子は笑顔で返事をして、インフォメーションに向かった。