学校否定ではない。学校の活用を望むからこその改善策提案本だ。
学校がウソくさい
藤原和博
学校の先生の仕事が多い問題
学校の“先生”の仕事が多い問題。まさしくそれ!である。特に小学校は専科が少なく、オールマイティに教えることが求められる。その状況下で英語にプログラミング。
そして、これは幼保、小中高共通だと思うけれど、何かあればすぐ普段様子を見ている教員が察知して対応、深刻そうなら自治体と連携と言われることが多い。
・いじめ
・家庭における虐待
・ヤングケアラー
・発達障害(幼保の早期発見のため)
一体どれだけ目が必要なのか。
もちろんとても大切なことである。
正直なところ、そんな部分は担任よりも自由な用務員の方が発見できたり、話を聞き出すことができるのでは?と意見したこともある。
習得内容は動画活用。話し合いをクラスで。
学力を上げるのに、動画を活用する案に賛成。何も同じ場所でなくていい。(エコなのはみんなが同じ場所にいてエアコン使用が良いかも?)教えるのが上手い先生の動画を見る。同じ単元でも、好きな先生を選んで別々に見るのもいい。
その上で、先生の授業は「どう思ったか」通り一辺倒な感想ではなく、そこから発展して何ができるのかとか自分だったらどう活かすのか、などを話すのだ。
それぞれの捉え方で乖離があればより学びになる。
学校の先生には、この時ファシリテーターのような役割を担って欲しい。
授業によってはコーチングのような役割になるかもしれない。
議論の授業だけは、出席必須授業とし、オンライン参加も可能(ただ、オンラインの方が意見を出しにくいので、チャットなど見れるサポートが必要かもしれない。ここは誰がやるのかアイデアが欲しいところ。安易に生徒に任せて、とは言えない)
小学校からの専科制
あるいは小学校からの専科制。担任の先生は担任として生徒を見守る役割。学力を上げるのは専科の先生である。
専科の先生は複数の学年を持つ。
目標は全部の先生が疲弊しない学校である。
保護者として望むこと
保護者として学校を見て、豊中市のこども審議会として2年間の任期を終えた。一貫して学校には、のびのびと過ごさせてくれる場所であること。子ども社会の中で集団生活に慣れる場所であって欲しい。
けして、脅されたり、否定されたりする場所ではないのだ。
この脅しや否定。
先生の仕事の多さ(宿題全教科チェック、集金、プリント回収など)や評価制度による「正解の絶対性」の影響だと感じている。
前述の方法で先生の仕事が減れば、ましになることがあるのではないだろうか。
この一冊は、学校否定ではない。学校の活用を望むからこその改善策提案本だ。