子供の頃から“おせっかい”である。
子どもの頃から“おせっかい”である。基本的に、人を助けられる自分でありたいし、何かで役に立てると感じる場所でなければ、息苦しくなり、逃げ出したくなる。
ギバー(与える人)と言われると、どうだろう?と思う。何せ私は、「人の役に立つ自分が好き」という利己的な理由で行動しているのだから。
さて、そんな細かな定義は置いておいて、人の役に立つことに喜びを感じる私は、低い自己肯定感を、毎日のちょっとしたこと“次の人のために扉を開けて待つ”を重ねて、少しずつ上げてきたらしい。人を助けたり親切にすることが、自己肯定感をあげたり幸福度をもたらすことを知ったのはここ数年のことだけれど。
そんな私は、手痛くテイカーと呼ばれる人たちに搾取されてしまったことが何度かある。
その度に“自己犠牲は止めよう”と思い、それでも自分が力になれそうな時に力を貸さないことに違和感を覚えて、またおせっかいをやく、ということが続いていた。
年齢を重ねて、おせっかいは、相手にとって良いこととは限らないので、とりあえず「声はかけるが手を出さない」方法で押し付けないようにはなった。
そして「世界は贈与でできている」(近内悠太)でペイフォワードや恩送りのことを改めて考え、やりすぎじゃないギブは悪いことじゃない、と思えるように。
が、長年、疑問とジレンマを持って生きている。「お人よし」で利用されるだけの人のままでは、時間もお金も使って、家族に迷惑をかける一方だと感じる部分がゼロではないが、そうならない方法がわからない。
そんなわけで本書を手に取ってみた。
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世の中でもっとも生産性が低いのはギバーである。それは、人のために自分のリソースを使うから。
間にテイカーとマッチャーが半々ずつの成果を出していて、トップはまたもギバーであるという。
ギバーは相手の利益が増えることに尽力する。そうしている間に業界や繋がりを持つ人が成功し、それに導いたギバーが何か助けてほしい、と言った時にはしっかり返そうと考える。また、信用にたる人間だと感じ、他の人に紹介してくれる。その積み重ねで、トップの生産性を叩き出すのだそうだ。
相手がうまくいくように、人と人を繋いだり、ビジネスアイデアを出すのは、まさしく普段行っていて、自分が喜びを感じていること(なんの見返りもないが、うまく行った話を聞くと嬉しくなる)。
トップのギバーもまた見返りを求めずナチュラルにギブを行っていることを知り、ホッとする自分に気づいた。
自分の意思で、自分の幸せなことをしていながら、生産性を求めたり、意識していないことに、わずかな罪悪感や引け目のようなものを持っていたのだ。
もちろん、トップのギバーと同じだから、私も大丈夫、という論理は成り立たない。それでもホッとするのだから、搾取される相手ではない誰かに「大丈夫」と言われたかったのかもしれない。
自己犠牲型でもっとも生産性が低いギバーと他者思考型の生産性の高いギバーでは何が違うのか。
・相手の感情(どう思うか)への共感ではなく、相手の考えを推測すること。
・自分だけで相手を助けようとするのではなく、他の人も巻き込んでみんなで手助けする意識
・自分もできないことを頼ること
この3つが肝心なようだ。
この3つを意識して、安心して人の役に立つ自分を貫こう。
そう思えた一冊。
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