中学校の卒業式で多様性を感じる
中学の卒業式。
3年前も頭の中で色々な文字が並んでいたなと思い出す。コロナ禍で行われた卒業式は、全員がマスクをしていて、同じ学年の小学校の卒業式のようには感情移入できないなと思っていた。それでも、幼稚園や小学校の低学年時から一緒の子達の名前が呼ばれると、身体の大きさにうるっとなった。
あれから3年。
ほとんどはマスクをしていない子どもたち。コロナ禍で中学にほとんど来ていなかったこと、そして小学生の時にも、関わりが少なかったこともあり、知っている生徒が少なく、やはり感情移入ができない。
せっかくなので、1人ひとりの名前が呼ばれるのを370名以上分聞いていた。3年違うだけでも名前の傾向に違いがあるなと感じる。
2文字の名前率が高い
長男や長女の頃から、名前の傾向は大きく変わるわけではないものの、2文字の名前が率が高くなったように思う。
これまで圧倒的に3文字の名前が多かったのが、2文字の名前が増えた、という感覚。
例えば
カノ
リク
アイ
ヒナ
アキ
レナ
あげればキリがないがこれまでならもう一文字ついていただろうな、という名前の2文字化が耳に残る。
カノン
リクト
アイカ
ヒナミ
アキト
レイナ
これまでの6年間ならこういう名前が多かったと思い出す。今卒業をしようという彼らが産まれた15年前になにかトレンドがあったのかもしれない。
実は我が家の子供たちの中で、今回卒業する次女だけが2文字の名前だったりする。しかし彼女の場合は日本の15年前の情勢は何も関わっていない。
なぜなら、彼女の歳違いの姉についた「チェコ」の女性の名前の最終候補だったもう一つの名前だから。
そう、2文字であることは全くの偶然なのである。
話を戻すと、男の子の名前は変わらず「○○ト」が多いので、2文字や長い名前になると覚えやすい。顔も覚えてもらいやすいだろうな、とつい社会に出てからの様子を思い浮かべてしまう。
ケイトは男の子
名前から日本は、やっぱり多様性の国だなと改めて思う。というのも、この学年に同じ学年に男女で同じ名前を多数見つけたのだ。
・メイ
・トワ
・リオ
名前だけでは性別がわからない。そんなところに多様性を感じる。
ケイトやアキが男の子の名前でソラは女の子の名前だった。これらは長男長女の学年では、反対の性別の同級生がいた。
こんなに自由に名前がつけられる国はなかなか他にないのではないだろうか。
実際に住んでいたことのある外国はチェコ共和国だけだが、カレンダーにある名前のみつけて良いようになっていて、男女の名前が一目でわかるようになっていた。他の国の名前をつける人もいなくはないが、戸籍のハンコ代を支払う必要があると説明されたのを思い出す。
ヨーロッパには、名詞に女性詞と男性詞中性詞がある国が、チェコ語以外にもたくさんある。そうした国は特に響きで男女の名前がはっきりしているのではないだろうか。
そうした複雑なルールのない英語でも、やはり女性ぽい名前、男性ぽい名前は存在する。私が知らないだけで、世界には日本と同じようにニュートラルな名前が多数存在する国があるのかもしれない。なので、日本の名前の付け方は世界一だとかいうつもりはない。
ただただ、多様性を感じるのだ。
学校長は、彼女らに「丸くなるな。星になれ」と言った。
好きなことに没頭せよ。没頭して自分を尖らせ、時にはまた違うところを尖らせて生きていこう、と。他者の評価を気にして無難な選択をするな、とも。
素晴らしい挨拶だ。
自分たちは星になるのだと、好きなように尖って良いのだと多様性を当たり前に、次の一歩を踏み出す彼らに、幸あれ。