ナイフ
8/30は、火曜日だったと思う。
火曜日、カップラーメンで夕飯をすませて、シンクに溜まった洗い物を片付けていた。
その少し前、旧友と内容の濃いデンワをした。
お題は「友達ってなに。」
3ヶ月前に、私は、生まれて初めて人間に裏切られた。あるいは、あ、私裏切られたんだ・と認識し、途方にくれた。それも、旧い友達に。
そのあからさまな裏切りは、客観的に見て、私を攻撃するような内容だった。
デンワの相手は、共通の友人で、その裏切りをどこかから聞きつけて、
私のために憤り、心配をして、デンワをくれた。
裏切りが発覚した当初、私は悲しいわ悔しいわ腹が立つわ、意味が分からないわで、大泣きした。
混乱して、誰かにおもいっきり平手打ちされたような感じだった。
その衝動のまま、裏切った人になるべく関係のない、そして心を許している友人に、片っ端からデンワをかけた。
けれど時間帯が、平日の9時前で、かけた友人の大半が働き盛りのため、電話はほとんど繋がらなかった。
結局ぜんぶで8人にかけて、2人がすぐ応答してくれた。
一人が、今現在薬学部に在籍中のこちらも旧友。バイトの休憩中かなんかで、スマホを触っていたところに私からのデンワがかかってきたそうだ。彼女のタイミングも相まって、私のために怒るとか悲しむとかではなく、とても冷静に対応してくれた。
もう一人は、大阪に住んでいる元カレ。仕事終わりに上司と呑みにきていたが、変な時間の着信だと心配になり、慌ててトイレでデンワを取ってくれたそうだ。こちらに関しては、考えなしにかけてしまった。心許している(ある意味)友人であるが、二人の過去があるし、やはりどう説明していいか分からなかったので、スマホ越しに泣くだけで、特に何も言えなかった。
最悪の瞬間を、2人との会話で乗り越えることができたが、着信を残した残りの6人も律儀に掛け直してきてくれたため、私はぜんぶで4時間ほどかけて(友人らのセリフだ)、それぞれに状況を説明した。
合計8人と話し終わる頃には、先ほどのような激しい感情はなくなっていた。短い時間でたくさんの人に説明したこともあって頭を使ったが、疲労と睡魔と引き換えに、すっかり頭が整理されていた。
その後も、度々思い出したりもしたが、感情に呑み込まれるほど苦しまずに、3ヶ月が過ぎた。
ーというタイミングでの火曜日のデンワだった。
デンワの友人は驚きを隠せない様子で、どちら側とも交友が深いために、ひどく落ち込み、戸惑い、とても感情的になっていた。
その彼女ともきっかり1時間ほど話し、デンワをきった。彼女は私が元気なことを確認して安心してくれたようだが、当の私は自分の中で問題を蒸し返してしまい、一人しこしこと洗い物と闘っていた。
割と料理をする方なのに、二日分の洗い物が溜まっていた。シンクはひどい有り様。
私は、自分の家が気に入っている。嫌なところは一つもないと言い切れる。
中でも一番はキッチンだ。シンクが大きくとられていて、料理台も広い。それに大きな換気扇付きで、火の元はガスだった。多分、料理する人が借りる部屋なんじゃないかと思う。しかしその大きくとられたシンクは、洗い物で埋まりがちだ。そういうのは料理をする女の鏡ではないと、いつも反省する。
キッチンに関してもう一つ言えるのは、驚くほど冷や水が出てくれるところだ。冷や水と言いたくなるほど、冷蔵庫で冷えきった水が、水道から出てくれる。どんなに暑い夏でもだ。
という申し分のない条件なのに、(また話が戻るけど)私は最低でも一週間に一回は洗い物を溜め込んでしまう。そうして片付けたら、決まって「ああ、10分もかかんないじゃん」ということになり、それくらいの時間だったら取れたのになぁ、とか思うけれど、やっぱりサボる。
そんなキッチンで、
あんなに幸せだったのに、この一出来事で全て台無しだ。
幸せだったけど、後味が悪くて、思い出したくもない思い出になってしまった。
だいたいあの女はなんなんだ。自分がされたら絶対的に嫌だろうに。自分がされて嫌なことは相手にはするなと教わらなかったのか。
女たるもの、もっと芯や正義感を持つべきではないか。それなのにあの女ときたら、だらしないどころか、友達を傷つけたことにも気付かない。あほうか。
あるいは知っているのか。そうだとすると、いい気味だとか、まぁいいやとか、仕方ないとか、そういう風に思っているのだろうか。
理解に苦しむ上に、せっかく忘れていたのに、(心配はありがたいが)蒸し返され、再び傷ついた。
また惨めな気持ちになるではないか。
くっそ。
fっくだ。
そう、そういう悶々とした気持ち。。
になりながら、
平皿やお椀や器や小鉢、いくつものお箸といくつもの菜箸、おたまやナイフ木べらやしゃもじなどでごった返しになったシンクと闘っていた。
やっと、小ぶりのアイテムを片付けたところで、包丁(ナイフ)が現れた。広いが、まだごった返しのシンクの中、右手側にはお出汁をストックするときに使っている背の高い瓶、左手側にはこちらも背の高いワイングラスが置いてあった。そして、その合間に包丁は現れた。
通常スペースがある状態であれば、包丁だと、自分と平行にして洗っているんだろうが、左右に背の高い食器があるし、それ以外の食器も邪魔していたため、隙間をぬって洗うしかなかった。
つまり、自分と垂直にして洗った。
もっと言うと、刃先を自分の進行方向に向けて洗った。
右手で包丁の持ち手を握り、汚れを拭うために左手のスポンジに力を込めて手前から刃先にスポンジを動かす。すると、自分の進行方向を突いている構えになり、突然気づいた。
あまりにも当たり前のことだ。
それでも、今まで全く気づかなかった。
私は、人を殺すことができる。
私は人間で、感情があり、今刃物と共に、とてつもない力を持っている。
ーワタシハ、ヒトヲ、コロスコトガデキル。
血の気が引いた。
誰かを、殺してやるなんていう強い感情があるわけではない。
先ほどの話も、実際しょうもないことだ。例えば、この件を裁判にかけて賠償金を貰おうとすると(そんなことしないけど)、ひゃくゼロの可能性で私が勝つだろう。それくらい今回は被害者だった。要するに、自分は正しいことをして、間違ったことはしていない、と思っている。どちらかというと、たくさん譲歩して真面目に向き合った上で、淡々と裏切られた。笑
だから私の中には、自分はかわいそうだ、被害者だ、正しいことをしたのに、真面目に向き合ったのに、自分がバカをみた、といった感情が湧いていた。
もっと言うと、
自分と同じようなモラル?というフィールドで向き合っていると思ったら、相手はまた別のモラル?というフィールドで私と向き合っており、それではルールが違って勝負にならないみたいな感じ。あのカードゲームのUNOで、地域ごとにルールが違っていて、参加者全員がそれぞれの地域のルールでゲームを進行しており、終了間際に手持ちのカードが少なくなって、アレ?今出したカードはどういうこと?!みたいになり、ゲーム自体はおじゃん。全員のリズムが狂ってイラっとするアレだ。
はあああああ!!!!!もおおおおおおおおお!
というやつ。
私たちは、いつでも、人を殺すことができる。
考えもしなかったから気付かなかったが、
それくらいの力を持っている。
例え、対象が身体ではなく、実際的に血は流れなくても、他人を殺れる(やれる)くらいの力を持っているということ。
あの包丁を、もし自分の対面に誰かがいるとして、そのまままっすぐ動かせば、確実に対象は傷付くだろう。
右手で持ち手を、左手で刃先を持ちながら、
しばらく動けなくなってしまった。
(あとがき)
人間は他者を傷つけずにはいられない動物だ、と思う。先のはなしのように、フィジカル的にだけではなく、よりメンタル的に。生きるルールが違っているために、どうしても起こってしまう傷つけあい。それが、「ああ、誤解だったんだね」といって和解できるものもあれば、取り返しのつかない過ちになることもある。そしてそれは、誰にでも起こりうる偶然である。私は今回の自分に降りかかった災いを、そう捉えている。どちらか一方だけが悪いということは無いけれど、明らかに「悪」のウェイトをどちら一方が占めていることはある。その「悪」が取り返しのつかないものであった場合、被害者側には拭えない、深く強い記憶が「傷」となって残ってしまい、拭えない傷をつけた側も、深く強く裂いた「感触」が手元に残ってしまう。そこまで行くと、時間がどうこうではなく、犯され、汚された血だらけの自分の一部が、ただ死んでいくだけだ。
実際、私の、その犯された一部分は、もはや血が流れきって、死んでしまった。再生は不可能。それをなかったことにして生活する、出来事の前の自分に戻って生きる、なんていうことは叶わない。25歳も終わりに近づいているが、生まれて初めての体験だった。そして、私が、まだ生き続けるのであれば、もっとあるかもしれないと思った。用心しても、きっとまた心の一部は血を流し、死に、それでも生き続けなければいけない。怖がっても、もうどうしようもない。こういうのは、正しさとか許すとかの次元ではない。
大きな力や、怒りや、痛みを前に、人間はなすすべがない。
だから、私たちには愛が要る。
利き手に持ってしまったナイフを、自分と垂直に持ち、対象があるところへ向け、動かさないために。
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