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入れ替わりのひまわり

ある日、ひまわりの花言葉を知った。

花言葉は「愛慕」。

言葉どおり、愛し、慕うという意味で、

当時、まだ若かったわたしは、

愛を知らず、恋をしていて、

愛して慕うとは、なんとやわらかな愛の表現だろうと感動した。

幼い頃から、ひまわりという花は、知っていたし、

見かけると立ち止まって、親しみを込めて眺めていた。

けれど、花言葉を知ってからは、

なんというか、


より尊い存在になった。


それ以来、

わたしもひまわりの様に、やわらかな愛情を注げる人になりたいと思いながら、

なんとなく、心を正してきた。


その後、出会い、生まれて初めて愛を育んだひとからは、

わたし一人が受け取るには勿体ない、抱えきれないほどのひまわりが届いた。

毎年。


そして、

花言葉を知った日も、

初めて愛を育んだ人も、

過去になってしまったある日、

学生時代の恩師が亡くなった。

田舎の狭い世界しか知らなかったわたしに、新しい世界を教えてくれた、

朗らかで、

媚びない、

すばらしい人だった。


恩師は、最近息子が結婚して、初孫を見ていたばかりだった。

ほんとうに、突然の死だった。


コロナの最中、

都心から移動するのもはばかられるので、お通夜にも、告別式にも行けていない。


このタイミングでの恩師の死には、

哀しみや寂しさだけではない、

無力感や、悔しさを含んだ、

大きなものが、重たくのしかかった。


たぶん、

今、

いわゆる"時代"と呼ばれるものが動いていて、

それは自分の力の到底及ばない、大きな力だということを実感させた。


そんなことを、

悶々と考えてしまっていた時、

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ひまわりが届いた。

心を正してくれていた、

その花本人が。


きっと、どんな時代を生きていても、

この心の騒めきと、

共に生きていくしかないんだろう。


でも、いつも彼を想おう。



(2020/7/18    つゆ夜と仄かなあきらめと)


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