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『silent』とは、こころのかたちの重さである
目黒蓮くん沼にはまる、一歩手前のひとを、「今、恵比寿」って言うらしい、って、どこかで耳にしたんですけど、なんか、いい。目黒の前の駅だから、今、恵比寿。考えた人、天才。
それはさておき。
『silent』というドラマは、
人が、人の持ってるさまざまなこころのかたちやふれたときの感じを、お互いがどれだけ大切に思い、どれだけゆるしあえるのか、そしてあたたかさを差し出しあえるのか、ということを、じっと見つめてるおはなしじゃないのかな、という気がしてる。
ありがとう、の、反対はあたりまえ、というけど、あたりまえなんてものは、ほんとうはどこにもなくて、ただ、生きているいのちの、それぞれの違ったかたちがそこに存在しているだけだと、そういうのを、誰もが自分を愛するように、敬えるように接することが出来るだろうか、という、わずかな疑問と、人への期待と祈りがある、そんな感じがしてる。
正しく強い、ではなく、正しくなくていい、優しさ。
official髭男dismの主題歌の『subtitle』の、
正しさよりも優しさが欲しい、
を、聴いたとき、ああ、そのとおりだ、と思った。わたしたちは苦しさのなかで誰かに手を伸ばしながら、殆ど、祈りのようにそう思うものだから。
損なわれているかもしれないものをことさらに伝えなくとも、耳さえしっかりと傾ければ、聴こえる。だけど世界がそれを無視すれば、きちんと掬わなければ、いつまでも聴こえることはない。
そういうものに大切に触れて、それぞれに違う重さをただ見つめるということ。そういう扉を、ひとりひとりに静かに、教えるというかたちじゃなく、教えてくれている。そんな気がする。