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手を伸ばせば、いつもあなたに触れる
今朝もまた夢を見た。何度も見るおなじ夢。朝、家から歩いて二十分ほどの小学校に始業時間ぎりぎりで遅刻してしまう夢。
わたしの通っていた学校は、町を縦断する川の向こう側にあった。細長い坂道を上がると桜並木の連なる土手があり、左に歩道だけの小さな橋がかかっていた。その橋を渡り右に折れて少し行くと、小学校の校庭が見えた。
夢は必ず、その坂道の途中で予鈴が鳴るところから始まる。朝礼開始の五分前、八時十分。通学路なのに登校中の子供はどこにもいず、わたしはあわてて走り出す。だが異様に重いランドセルは小さな背中でぐらぐらと揺れ、右手には絵具セット、左手に習字道具とうわぐつの入れ物を持っているので全然うまく走れない。お世辞にも運動神経がよいとは言えなかったわたしは、汗だくで走り続けた橋の真ん中で、必ず石にけつまずいて盛大に転ぶ。ランドセルの開いた蓋から中のものがばらばらと外に飛び出す。すりむいたひざ小僧からは血がにじみ、橋の上に絵具の筆やうわぐつや教科書や筆箱が無残に散らばり、泣きべそをかきながら、ちいさなわたしは途方に暮れる。
ベッドの中で目を覚ますと、たいていうっすらと寝汗を掻き、激しく動悸がしている。何故こんな夢を見るのか、真面目で神経質のわたしはそもそも現実で遅刻などしたことはない。少学、中学、高校、大学、社会人、そして今。
小さい頃からそういう夢ばかり見ていたわたしを、母は、「難しいこども」と評した。「あなたはとにかく、難しいこどもだから」。たしかにカンが強く、いつもいらいらしていた。それなのに、学校では優等生、と呼ばれていた。何がどうなると優等生なのか、そんなことは知らない。ただ、先生の言うことを聞いて、授業のノートはとても綺麗で、忘れ物をせず、宿題をちゃんとやり、遅刻しなかった。それだけだ。ほんとうの友達などついぞ出来なかった。そしてそれが、自分が「優等生」と呼ばれているせい、というのにも、うっすらと気がついていた。
だけど、ほんとうはわたしは、優等生なんかじゃなかった。先生の言うことを聞くのはうわべだけで、ノートを取っていても頭にはなにも入っていなかったし、忘れ物は隣のクラスの子から借りて、宿題は朝になってから必死にやった。嘘じゃないのは、遅刻しなかったことだけ。だけど黙っていた。だって、ほんとうの友達なんかべつに、いらなかったから。
ランドセルからものが大量に落ちる夢を見るたびに、あれはわたしの心なんだとよく思った。うわべだけ、たくさんものを必要としてるけど、でもどれもいらないし、全然使い物になっていないことを、ほんとうは知っているよ、と言う合図。
だから、目覚めて汗を掻きながら、しかたないよね、と、自分に言った。
わたし、嘘つきだから、と。
そして、こうも思った。
わたし、あの道に散らばった、ほんとうはいらないものを、生きてる間にひとつずつ、捨ててかなきゃなんないんだな、と。
そうやって、よろよろと、生きてきた気がする、ずっと。
嘘ついてる自分に近づいて、自分と仲直りして、母と仲直りして、そして。
このごろ、気付けばその夢を、あまりみない。
うれしくて、そして、ちょっとだけ、さみしい。