エルピス ー希望、あるいは災いー
残りあと二話なのに!なにこの読めなさ!なにこの絶望感!
と、思わず地団駄を踏んでしまう今夜の回だった。
ギリシャ語で「希望」「希望の女神」の意味を持つエルピスというこのドラマ、脚本家渡辺あやさんと骨太プロデューサー佐野亜由美さんの本気度が毎回物凄くて、瞬きすら出来ずに見入っている。
三回目くらいまで、とにかく「食べること」「食べられないこと」にこだわり続けた。不倫報道でキャスターを降板させられ、現実を拒否するかのように固形物を受け付けなくなっていた浅川しかり、自身のいじめ体験をスルーして「生き延びてきた」過去を自覚してから、急に目付きが変わって激痩せした岸本しかり。
だが岸本たちが左遷されるなか、一人だけまさかの報道の中心に返り咲いた浅川は、せっかく一度飲み込まないと決めたはずの「現実」に再び埋もれ、激しく揺れ動いた末に飲み込まないと決めたものの中に身を浸して、「ついに飲み込まれてしまった」。かに見えた今回。
政治の体たらくを隠し続けてきたメディアの懺悔が段々言い訳のような装いを増してきてて、この辺の身も蓋もなさが、ろくでもない実社会をなぞりすぎていて気が滅入るのだけれども。でもそれはおそらく、視聴者に「仕掛けてきてる」。絶対。
そうじゃなければエンドロールに、浅川が作ったレシピ通りのケーキがなぜかケーキに似ても似つかぬ代物となり、グロテスクに光る画面を見つめながらチェリーが本物のケーキを口にする、あの思わせ振りな映像出すはずはない。
要するにこれ、この辺りのグロテスクな様を目を背けることなく「見届け」たうえで「白日のもとに晒す」のは、わたしたち視聴者なんですよ、って、言ってる気がするから。
フィクションの名を借りた、巧妙な現実。メディア人じゃない普通のわたしたちもまた、これの一部始終を目撃して、それを飲み込むか吐き出すか最後、決めなきゃいけない。そういう提示を、このドラマはしている。ように、見える。
「食べること」=「受け入れること」=「生きること」。
「身内を背中から撃つような企画」だと言われ、佐野さんが何年も表に出せなかったというこの挑戦が、災いか、それとも本物の希望になるのか。
祈るような気持ちで、残りを観る。