他国の姿と自国の過去

他国の内紛に何故、此処まで心を燃やしているか。お伝えしておきます。

《戦後復興の華美》やその後の、我が国の立ち回りで〔従順さが誤解を生んだ〕と仮定した時に…。

そうした事からは、よく学ぶのが、所謂、《負けから学ぶ》とも言えると思い直しました。

【本土決戦が秒読みの折に、捨て石にされた場所で、自軍による民間人の虐殺があった。】

死の恐怖に怯え、命を守ろうとした人たちを、護る側だと札をつけた筈の側が殺した。

逃げられては困るから。

敗色を、他の地域に悟られては困るから。

人の盾として使い、それでも逃げようとすると正義を楯に、殺した。

いえもう、そんな立派な理由でもなかったかもしれませんね。

戦う自分に対して、戦えず逃げ惑う市民が目障りだったから。

殺せっこない敵兵よりも甚振りやすい相手に目をつけた。

それ位のことかも、知れませんね。

《本当の事なんて誰にも分かりはしない》

だから、事実として、あった事を、そのままに。

悲劇だ惨劇だ傷ましいと、距離を取って、眺めて終わりではなく。

(どうして、こうなってしまったのだろうか。)

弱いものほど、生きにくい世界で。

その道を選ばずに、どうにかして。

発展を続ける方法は無いのかと。


歯を食いしばって、戦後復興を成し遂げ、その後、青息吐息とはいえ女性の社会進出まで進んだ。

おまけに無限の財布を持ってる様で、非常に扱いやすく、上々に仕上がっている。

【この状況を量産】すれば、非常に楽に、自分達は〔収穫するだけでビジネス〕が出来るのでは無いか。



ええはい。ただの推測という名の妄想ですよ?

ですが、勝者は成功体験に縋って大きな過ちを犯すのは〔此の二年足らずの激動〕で、否定しようがなく突きつけられたでしょう。


だから、私は、あの時もそれ以前も、ずっとずうっと怒っていたのです。


あまりにも無自覚で無頓着で無知がすぎる。


【内側から壊して自国への信頼を失わせ、そこをさらに畳み掛け。致し方なくであろうと恭順の意思を数十年、世界に見せつけて来た。その事が、あらぬ《理想の勝ち方》を植え付けてしまったのでは無いかと。】




後書き

日本人は、戦い方面に関しては、偉く消極的だ。

けど幾つか、取っ払いさえすれば、それこそ使える技術は無数にある。

それを知らずに研いできた訳でもねえさ。


随分とまあ、足を引っ張ってくれた連中もいたが。


此処まで目の当たりにしたら、安っぽい平和思想が何の役にも立たねえって嫌でも伝わるだろ???



《日本人的な世の為・人の為がしたいなら。まずは〔双方が平和〕な状況になる様に努力して、見極めて動け》



ガチのマジでそこまで利用されたんだとしたら、全員がいい面の皮で恥知らずだ。


チェリーかよ?





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