#83 長崎県 「軍艦島」
こんにちは、ゆうです。
2014年に訪れた長崎県の「軍艦島」を振り返ります。
長崎県長崎市にあるこの島は、正式には「端島」(はしま)という島で、高層アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
明治維新から間もない1869年、島の海底に石炭が埋蔵していることが発見され採掘が始まります。そして1890年、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されました。
当時、石炭は日本にとって、工場を動かし、汽車、車、船などを動かすのになくてはならない主要なエネルギー源でした。
この石炭を掘るためにたくさんの人を雇う必要があり、働く人が島に住みながらすぐに炭鉱に行けるように、そしてその家族もいっしょに住めるように、日本で初めて、鉄筋コンクリートのアパートが建てられました。
南北約480m、東西約160m。
約6.3haの面積はJR新宿駅とほぼ同じという小さな島ながら、最盛期の1960年代には約5,300人もの人々が住み、東京の9倍を超える人口密度は世界一とも言われました。
小中学校のほか共同販売所、映画館や料理屋、娯楽場、病院など最先端の技術と都市機能を持つ炭鉱都市として栄えました。
小さな島でしたので、屋上スペースも活用していました。
例えば、保育所は9階建ての屋上にありました。
毎日階段に登っての通園は、想像しただけで息切れします(笑)
また軍艦島の鉱員の給料は高く、生活水準は全国に比べて高かったです。
例えば、1958年当時全国のテレビ普及率10%に対し、軍艦島ではほぼ100%と、当たり前のようにテレビを所有していました。
栄えていた軍艦島でしたが、国のエネルギー転換政策を受けて1974年に閉山され、すべての島民が島を去ることになり、無人島となりました。
そして2009年より公に上陸できるようになり、
2015年には世界文化遺産に登録され、今に至ります。
軍艦島観光ツアーは事前にネットなどで申し込みできます。
上陸できるか否かは天気によって決まります。
私が訪れた時は雨で少し海が荒れていましたが、なんとか上陸できました。
船着場
上陸後、案内人に従い、決められた遊歩道を歩きます。
遠目で外観だけ見学できます。
中の生活の様子などが見たいですが、崩れると危険ということでしょうか。
決められた遊歩道で島の滞在時間も短く、正直ふーんって感じでした(笑)
第二の軍艦島と呼ばれる「池島」はその点、面白かったですよ!
まだ島に住んでいる方もいますし、宿泊施設が1つだけあり、そこに泊まりました!
訪れた時の記事を今度書きますね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
素敵な一日をお過ごしください。