#56 あいちの魅力 揚輝荘①
こんにちは、ゆうです。
名建築を訪ねてきました。
遊び心満載の建物にワクワクしました。
「揚輝荘」(ようきそう)は、大正から昭和初期にかけて(株)松坂屋の初代社長である15代伊藤次郎左衛門祐民(いとうじろざえもんすけたみ)の別荘として建設された、 名古屋の近代における郊外別荘の代表作です。
約1万坪(35,000m2)に及ぶ広大な敷地に、最盛期には30数棟に及ぶ建物がありました。
祐民は経営者・財界人として活躍し、また国際交流等の社会活動に取組んでいたため、揚輝荘は単に個人の別荘にとどまらず、皇族、政治家、実業家、文化人など各界の名士が来荘し、園遊会、観月会、茶会などが数多く 開かれる豪華な迎賓館、社交場として、また、タイの留学生の寄宿舎として、国内外の広範な交流の場となっていました。
第二次世界大戦中の空襲による被害や開発等の影響から、現在は敷地・建物の大半が失われたものの、主要な部分が残されており、2008年(平成20年)に名古屋市の有形文化財に指定されています。
「聴松閣」は、昭和12年に上高地の帝国ホテルをイメージして造られた迎賓館です。祐民は聴松閣を建設中にインドやタイなどを訪問し、そこで感銘を受けて内装を変えたと言われています。
地下から2階までの各室は、各国様式がミックスされ、とてもワクワクする空間でした。
旧食堂暖炉。
暖炉の周りの壁には有名寺院等の古代瓦がはめこんであります。
奈良の唐招提寺、京都の東寺と西寺など。
旧食堂床。
幅の違う板を貼り遊び心を感じます。手斧(ちょうな)で木材の表面に化粧を施す「名栗」技法で、無垢床材に彫りを入れてあります。
旧食堂天井。
ランプもどれも素敵でした。
旧サンルーム床。
色の濃淡があるように見えますが、実は同じ板を向きを変えて貼り合わせたもの。光の具合で、見る方向を変えると、色の濃淡が変わります。
旧サンルーム天井。
こんなランプ初めて見ました。素敵です。
ホール・階段。
「名栗」のほか、階段手すりの透かし彫りなど、当時の大工の技を見ることができます。
旧書斎。
書棚と照明は作り付けのもので、天井は舟底天井、棚と棚の間は網代(あじろ)天井です。床は当時の新建材プラスチックタイルで市松模様です。
旧応接室。
英国山荘風に装飾された部屋です。丸窓とソファーは一等船室のイメージで、象を飾るなどインドやヨーロッパ旅行の思い出を再現したのでしょうか。
旧寝室。
中国様式の装飾が施され、来客用の寝室として利用されていました。雷紋の床、天井の鳳凰、暖炉上の木鶏などの中国装飾がみられます。
旧更衣室。
この建物唯一の和室です。この部屋でお客様は「お召し替え」をされました。
2階手洗い場。
趣があって素敵です。
旧トイレ。
天井は中央に網代天井、その周りに透かし彫りと換気目的の装飾が施されています。床はタイルの市松模様で、洋式の水洗便器が置かれていました。
地階ホール。
左右の壁画は、インドのアジャンタ石窟の写しといわれています。釈迦一代記の中の釈迦誕生にまつわるシーンです。作者はインド・タゴール大学から来日していた留学生パルク・ハリハランで、1938年制作時のサインが残されています。
占い師が、じきに子供を授かることを予想しているシーン。
子供を授かった後のシーン。お腹が少し膨らんでいます。
旧舞踏場舞台。
半円形の舞台です。右側の小さな扉は切戸口で、背をかがめて登場するように低くなっています。能、狂言で使われたと思われます。
また、柱の下の方に描かれている模様は、インドのアーグラ宮殿で見られる模様です。
旧舞踏場 暖炉。
暖炉の上には、カンボジアのアンコールトムに見られる踊り子のレリーフがあります。祐民はインド旅行の途中、タイからカンボジアまで足を延ばしました。
旧舞踏室 窓。
窓ガラスにはヒマラヤ連峰雪嶺のガラス彫刻が施されています。
暖炉左奥手の小スペース。
瞑想のために使用していたのでしょうか。壁面にはきれいなタイル模様と、中心にはインド砂岩と思われる女神像が貼り付けられています、側面にはろうそく立てのようなスペースもあり、朝は丸窓から朝日が差し込みます。
地下トンネル入口。
地階ホールには、トンネルの南入口が残されています。T字型で全長170mでした。このトンネルの目的は不明ですが、アジャンタ石窟寺院の写しとも言われています。
旅行で感銘を受けた点を家(しかも別荘!!)に反映させるなんて、素敵すぎます。
遊び心満載で素敵な方だったのでしょうね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
素敵な一日をお過ごしください。