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コンプレックスという呪いを解いてもらった話

「人の数だけフェチがあるんだよ。」
これは年上の友人が私に放った言葉です。

そんな彼女のフェチは耳だそうで、所謂“福耳”がたまらなく好きとのこと。
はじめて出会った際に「あんたの耳いいね。好き。」なんて言われたのはいい思い出です。

人よりも耳と耳たぶが大きめなことを友人達から指摘されて以来、自分の耳をコンプレックスと思い髪の毛で隠してきた私は彼女の言葉に虚を衝かれました。
そして冒頭の言葉に戻ります。

人の趣味嗜好が異なることは至極当たり前の事ですが、当時精神的にも未熟だった私は
「人から指摘されたことは全て悪い事。」
と思い込んでいたので、彼女の言葉はまさに目から鱗でした。

そんな彼女の言葉もあり、私は意識的に耳を隠すことをしなくなりました。


自分が思っているコンプレックスは案外他の人から見たら些細なことなのかもしれません。

それが分かっていても自信が持てないのは肯定してくれる人が周りにいないから、自分が強く思い込んでいるから、周りの人に何度も指摘をされているから、そういった積み重ねによってコンプレックスはより拘束力の強いものになっていくことが原因なのかもしれません。
なんだか呪いみたいですよね。

悪気があって指摘したわけではない。
それを理解していても、指摘されるほど目立っているのかと一度思えば容易く呪いにかかってしまうわけです。

かかりやすくて解きにくいなんてめちゃくちゃ厄介ですよね。

経験をしたからこそ私は身体的特徴を貶めて取る笑いが好きではないし、どんな場面であっても誰かの身体的特徴をフォーカスしないようにしています。

自分がいいなと思ったことだけ素直に言葉に出す、でも褒めすぎないようにというのが私の密かなテーマです。
私の「いいね」という言葉にレア感があればあるほど褒めた内容が真実味を増すのかなという勝手な持論から来ています。

というのも、私の呪いを解いた彼女は本当に自分が良いと思ったものだけ褒める人だったからこそ、私の中で彼女の不意に出た「いいね、好き」が嘘偽りではないと感じたことが大きかったからなんだろうなと思ったからです。

今でも解けてない呪いをいくつか抱えていますが、私も彼女のように誰かの呪いを解けるような人間になりたいな日々思いながら生きています。

それでは、

今日も世界がアナタに優しくありますように。

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