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世界で初めて冷凍保存された男
未来の復活にかけた博士
アメリカ・カリフォルニア大学の心理学教授だったジェームズ・ハイラム・ベッドフォード博士
彼は死亡後に遺体を冷凍保存された最初の人物であり、1967年から約52年間、アルコー延命財団の一室で冷凍されたままその日を待ち続けている。
ジェームス・ベッドフォード博士は、亡くなる前、遺体を冷凍保存し、将来、死者を蘇生できるような技術が登場したときに復活させて欲しい旨の意思を表明した。
博士は腎臓がんを患っており、すでに肺にも転移していた。彼は死が近いことを知っており、急いで10万ドルを冷凍保存の費用にあてるよう遺言を残した。
1967年1月12日、ベッドフォード博士が亡くなると、誰もが慌てた。当時はまだ、遺体を冷凍保存をするなど、突拍子もない考えだった。
遺体まるごととなると前代未聞だった。
それでも彼の意思を尊重するために、ベッドフォード博士の面倒を見た看護師は、ほうぼうを走り回って氷を集めてきたという。
そして1964年に冷凍保存を推進するために設立された延命協会に連絡した。
記録上世界初となる遺体まるごと冷凍保存の試み
専門家のチームが到着し、遺体の準備が開始された。まず医療用不凍液が血管に流し込まれ、またその間、脳のダメージを最低限に抑えるために肺に酸素が送られた。
その後遺体をドライアイスでマイナス79度に保たれたカプセルに横たえ、さらにマイナス196度の液体窒素に沈められた。
それから2年間、ベッドフォード博士の遺体はアリゾナ州フェニックスの施設で保管されたのだが、その後にカリフォルニア州で新しく作られた施設に移送され、さらに8年後、再び別の施設へ移された。
その間、息子と妻は「バカなことはよせ」と迫る親族と戦わねばならなかった。冷凍保存の費用と長引く法廷闘争のおかげで、博士が残した10万ドルはとうに尽きていた。
あるときなどは、高額な保存費用に嫌気がさした息子が、父の遺体を小さな倉庫に移し、そこで定期的に液体窒素を補給していたこともあった。
1982年に遺体はアルコー延命財団に託され、以来博士はそこで安らかな眠りについてる。はずだが、遺体の保存状態についてははなはだ疑問だ。
拙い冷凍保存のせいで遺体にダメージ
1991年の検査では、上半身・首・腕が変色し、感染して炎症を起こしたかのように赤くなっていることが判明した。
また鼻は、保存の準備段階で使われたドライアイスのせいで押しつぶされていた。さらに胸の部分の皮膚にもひび割れがあった。
もしベッドフォード博士が蘇って鏡を覗くようなことがあれば、ほとんど幽霊のような自分の姿にぎょっとすることだろう。
冷凍保存した遺体を蘇生できる見込みについては、今のところかなり薄く、科学者たちの間では、希望を売るような行為ですら非倫理的であるとの見解もある。
仮に医学のブレークスルーが本当に起きたとしても、ベッドフォード博士のようにあらっぽいガラス化手順で冷凍保存された遺体が蘇る可能性は、ほとんどなさそうだ。
きちんとしたガラス化――すなわち氷の結晶で組織が破壊されることなく、体液を固体ジェルに転換できるようになったのは1980年代のことだ。
しかも、ベッドフォード博士に不凍液として使われたジメチル・スルホキシドは今ではもう使われていない代物で、その脳が修復不能なほどにダメージを受けている可能性は、かなり濃厚だ。
不治の病におかされた人の最後の希望
にもかかわらず、アルコー延命財団のプレスリリースによれば、博士は「深い昏睡状態にも似た仮死状態」にあるという。現在、法的には生きていないが、死んでもいないのだそうだ。
冷凍保存技術は、ベッドフォード博士の時代よりもずいぶんと進歩したが、それでもこれが役立つのかどうかについて、きちんとした証拠はない。
分かる範囲では、冷凍保存を受けた患者は、死んだときの状態を保つためのガラス化によって、修復不能なダメージを受けている可能性があるということだ。
かつてオレゴン大学のある教授は、ベッドフォード博士が冷凍されたときのことについて、「彼は冷凍された時点で死んだ。もう二度とは帰ってくるまい」と述べたという。
だが、未来に希望をつなぎたいという願いは、世界で3つある冷凍保存施設(アルコー、ミシガン州クライオニクス研究所、モスクワのクリオロス)に依頼主をかけ込ませている。
そこでは現在300以上の遺体と脳が保存されており、さらに3000人が契約済みで、いずれはそこで冷たい眠りにつくことになるのだそうです。
さよなら👋