正論を言うのは今じゃない
サウナと関係ないですが、
言語化しておきたいことがあったので書きます。
身近な人の相談に乗っている。
話を聞けば聞くほどに、
その人はどうにも逃げられない状況にいて
過呼吸になっていて、つらそうすぎて。
こんなことを言ってはいけないが
こちらまで辛くなって気が滅入るほどだ。
その人は長年、
いわゆる精神的虐待に耐えている。
具体的には言えないが
浮世離れした人格否定なる言葉を
毎日浴びせられているらしい。
私は知っている。
いつも気丈にふるまっているけれど
それは表面上だけの話で
本当はつねにギリギリの状態であることを。
ふとしたきっかけですぐに闇の世界に
引きずられてしまうことを。
いまとてもモヤモヤしているのは
その人に対して、正論を言う人がいること。
正論って、そりゃあ、ただしい。
けど、「いまじゃない。」
いまは、その人の
「たすけてほしい」という心の声に
寄り添うべきだ。
私はその正論を言う人に、
勇気を出して
今は追いつめるようなことは
言わないであげてほしい、と言った。
でも、分かってもらえなかった。
「〇〇が△△なんだから、
××するか、心を決めて◻︎◻︎するしかない」
と繰り返すばかり。
どうしても分かり合えない人間
というのは存在する。
それまで過ごしてきた環境が
全く同じ人間など
いないのだから当たり前ではある。
話を戻す。
誰かが愚痴めいたことを言っていたら
「じゃあ〇〇すれば??」という
言葉が喉から出そうになってしまう時が
私にもある。
でも、アドバイスは「いまじゃない」。
なんなら「必要ない」かもしれない。
その相手は
ただ聞いて欲しいだけの場合も多いし、
もしかしたら「どうにもならない」背景が
あるかもしれない。
「どうにもならない」ってところがミソで、
本来は「どうにかなる」のかもしれない。
でも「どうにかする」までに
膨大なエネルギーや時間を必要としていて
「いま」がつらいから、
愚痴を言ったり相談しているのではないか。
なので私は、つらい状況に置かれている人には
アドバイスめいたことは
言わないように気をつけている。
だいたい、次に起こさないといけない
アクションなんて
多分その人が一番分かっている。
話を聞いて共感してあげること自体が、
その人が次にアクションを起こすまでに
必要なことだと思う。
正論をかざす人がこの世の中から
減りますように。