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友達は多いほうがいい?

友人ってなんだろう

 友人とは何だろうか。そう考えたことがある人は少なくない気がする。気兼ねなく、何でも話せる人?一緒によく遊ぶ人?少なくとも私の中では、まだ答えは出ていない。しかし、私の中では大きなテーマとなっている。それは、SNSでたくさんの友達と遊んでいる姿を投稿している友達を見るようになったからだ。私には、そのような友達は片手に収まる人数しかいない。オンラインで簡単に人とつながることができるようになった今、本当の意味での友達というものを考え直すきっかけになった。
 「友達は多いほうがいい」とはよく言われることではないだろうか。有名な歌の歌詞の一節にも「友達100人できるかな」という言葉がある。しかし、本当にそうだろうか。本当の友人や親友とは、どんな人のことだろうか。
 私はメッセージアプリで200人以上の友達がいる。しかし、実際に連絡しているには家族と、そのほかのほんの数人だけだ。では、その数人のみが友達か、と問われるとそれは違うと思うし、反対に、登録している200人ほどの人すべてが友人か、と問われても、それも違うと思う。

私のともだちの定義

 私の中での友達とは、自分が困ったときに一緒に悩んでくれる人なのではないかと考えている。私の場合、自分が困っているときに励まされても「どうせ私の苦しさなんてわからないだろう」と心を閉ざしてしまう。アドバイスをもらっても「そんなにうまくいくなら苦労してない」とせっかくの助言を無駄にしてしまう。しかし、そういったときに一緒に考えてくれたら私はとてもうれしい。考えたところで、答えは出ないのかもしれない。しかし、一緒に悩み、考えることで悩みが分散され、気持ちが少し軽くなったような気分になる。これは、自分の困りの程度にも影響すると思う。例えば、勉強がうまくいかない、といったことや、恋人とけんかした、といったものであれば比較的話題にしやすく、どんな友人にでも話せると思う。しかし、これが人生を左右するような悩みだったらどうだろうか。アドバイスをもらったり、励ましてもらったりして、うれしいだろうか。私の答えはNOだ。一緒に私の人生について考えてくれる人、つまり私の人生の伴走者が本当の意味での友達なのではないかと私は思う。うわべだけの付き合いの友人が悪いわけでは全くないことを強調したい。一緒に遊んで楽しかったり、一緒に出かけて楽しかったりする友人がいることはむしろ正常なことで、そのような友人がいることはとても大切なことだと思う。しかし、その中でも一緒に「人生」という長い長いマラソンを走ってくれる友達も必要ではないか、と私は思うのだ。友達は同世代でなければならないという決まりはない。先生や先輩、後輩、あるいは恩人など、誰しもが自分の友達になり得るのだ。

皆さんのともだちってなんですか?

 私には、幸いにもそのような友達がいる。私は彼女たちの人生の伴走者になれているだろうか。支えてもらった分をきちんと恩返しできるだろうか。そんな不安を抱えながら、今日も私は友達に支えられて生きていく。そしてきっと、私自身も誰かの人生を支えているだろう。


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