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手紙の思い出

実家にある手紙の山

私の実家には、手紙しか入っていない引き出しがひとつある。私が今までもらった大切な手紙だ。最近実家に帰ってきて、時間もあったので、久しぶりにその中を覗いてみた。中には、思ったよりもたくさんの思い出が詰まっていた。

文通の思い出

 その引き出しの中に入っている手紙は、小学生以降のものだ。
 私には、ある友人がいたが、彼女は小学校4年生のときに、転校してしまった。それ以来私たちは月に2度ほど文通をしていた。今から10年ほど前のことだ。小学生で携帯電話を持っている人などほとんどいなかった。私たちが連絡を取る手段は必然的に手紙だった。文通は、私たちがつらいときも、楽しいときも、続いていた。
 ある手紙には、2011年の震災のことがつづられていた。私は彼女にどんなことを返したのかは覚えていないが、お互いにきっと慌てていたのだろう。擬音語だらけの手紙だった。
 ある時は、私たちが二人とも中学受験に失敗した。別の場所で、全く別の中学校を受験していたにもかかわらず、だ。お互いに励ましあっていた。
 中学校に入って、手紙の数は減っていた。私がいわゆる「ブラック部活」に入って、ほとんど自分の時間が取れなかったためだと簡単に推測できた。小学生のときに1回、中学に入ってから1回、彼女の家の近くまで遊びに行った記憶がある。その約束も、手紙でやっていたのだから、大したものだ。(今は絶対に、スマホがないと困る。)
 何の縁か、私たちは思いがけず、高校受験の会場で再会した。そして、同じ高校に入学した。嬉しかった。しかし、同じ高校に入っても、学校で会うことは少なく、しかし文通は途絶えた。

部活の思い出

 手紙は大きく3つに分けられた。部活の仲間にもらったもの。文通仲間からのもの。その他のもの。
 私が入っていた部活では、大会の前に手紙を渡しあう習慣があった。あるものは先輩から、あるものは後輩から。手紙を読むだけで、時代が流れていくのが分かった。手紙には、そのときのノリでしかわからないような造語もたくさんあり、解読するのはなかなか難しかった。しかし、そのときの感情や緊張感、どれだけ練習を頑張っていたのかが鮮明に思い出された。

手紙の山は簡単なタイムマシン

 私にとって、これらの手紙は簡単に時代をさかのぼることができるタイムマシンのようなものだ。手軽でいて、楽しい。そんな手紙の山は、捨てることができない。どれをとっても、大切な思い出なのだ。
 引き出しがひとつ減ったら、部屋は片付くだろう。何度もそう思って捨てようと試みたが、やっぱり捨てられない。これからも、私は何度もこの行動を繰り返すだろう。
 それくらい、私にとって手紙は過去を思い出すための大切な道具なのだ。

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