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「自分らしさ」にこだわり続けるワケ

私は、2020年の秋からファシリテーションを学び始めた。そして、その頃からずっと「自分らしさ」について悩んでいる。

「自分らしい」ってなんだろう?「わたしらしい」ってどんなことだろう?


悩んでいる私は、同じくファシリテーションを学ぶ仲間によく私の強みはなんだと思うか、意見を聞いていた。でも、それはどれも自分の中に入ってこなくて、ずっともやもやした気持ちを抱えていた。

あるとき、なぜそんなに自分らしさにこだわるのかと尋ねられた。自分のなりたいファシリ像を目指してなりきればいいのではないか、と。

私は答えられなかった。

それから、私がここまで人から見た「自分らしさ」にこだわっているのかについて考えることになった。
(また考えることが増えた…と思ったのは、内緒。)

もちろん、答えはそんなに簡単にはでなかった。
出せなかった。
分からなかった。



今年の6月、私に初めて実習生がついた。
担当の人以外と関わることは初めてだった。たった6回しか会わないが、されど6回。およそ3週間にわたる期間、私は彼女のことを考え、彼女は私のことを考えていたのだろう。ひとりの人とこんなにも密に関わるなんて、なかなかない経験である。

最終日、彼女は私にプレゼントをくれた。手書きの「いいところリスト」だ。そして私は、ありがとうカードを用意した。なんだか照れくさくて、直接顔を見て渡すことはできなかった。(彼女は私に堂々と渡してくれたのに、ちょっと卑怯だったと思ったりもしたが…)

思い返すと、その日彼女は終始笑顔だった。私の偏見抜きにして、嬉しそうだった。輝いていた。そして、私がカードを渡したとき(それは別れ際の数分の出来事であったが)彼女の目には光るものが見えた。

もっとたくさんの人に、あんな顔をしてほしい。

心からそう思った。

それからすぐに、私は彼女とのやりとりを振り返った。そのノートには、こうつづられている。

『たくさんの人に、「ゆずと会えてよかった、ゆずを受け持ててよかった、ゆずがきてくれてよかった」って思ってもらえたらいいな。大学でお話聞いてくれた学生さんたちにもそう思ってもらえたらいいな』

ゆずのノート

どんなに人から言われてもしっくりこなかったこと。「自分らしさ」は、すぐそこにあったのかもしれない。私が、受け入れようとしていなかっただけなのかもしれない。今回の経験は、私がわたしであるためのきっかけを与えてくれた。

人から言われて、自分が体験して、やっと自分の中に入ってくる。
人よりも時間がかかるし、面倒だけど、きっとそれが、私の過程なんだ。

もしも願いがかなうのなら、もう一度彼女に会いたい。彼女に会って、私の話をしたい。

あなたがいなかったら、わたしは大事なものに気づくことができなかったから。

最後に…
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応援していただいたお金は、動物保護施設でのボランティアにかかる資金および、私自身の勉強の資金にさせていただきます。

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