私の一番好きな曲「美しい日」
私が敬愛してやまないアーティスト「SUPER BEAVER」より、その中でもBEAVERを好きになるきっかけになった曲「美しい日」を紹介しようと思います。
どんな時に人は曲を好きになると思いますか?
メロディーが刺さった時?
アーティストの顔面や生き方に魅力を感じた時?
ライブで聴いた時一番ノることができた時?
私は、自分の信念であったり大事に思っていることが一致していた時だと思うのです。
この「美しい日」という楽曲が歌っているのは、幸せの在り方について。
幸せとは、誰もが知っているような大企業に就職していることでもなく、高級オープンカーで都内を走り回ることでもなく、エルメスやグッチのカバンを彼氏に買ってもらうことでもない。
幸せはの価値は、自分から望んで手に入れようとするものではなく、既にある幸せに気づいた瞬間そのものなのだ。
上記は私自身が感じ取ったこの曲の見解です。
もちろん、歌詞の捉え方、曲に対する感じ方は人それぞれ。
ただ、重要なのは私自身が解釈したこの曲の「幸せ」と私自身が考える「幸せ」の姿が一致した時に、この曲は私と同じ想いを持っていたということ。
私が思う幸せとは?
この曲を聴いた時には、まだその答えなんてものは出ていませんでした。
ただ、一つだけ大切に思っていたことがあります。
「息振り絞って生きる毎日に何一つ無駄な日なんてない」
すごく頑張った日も、少し空振りした日も、あまり行動できなかった日も。
私自身も私の生きる365日から1日でも欠けていたらそれは別の私になると思っています。
毎日の中に発見がない日なんてない。
振り返ると、あの時あんな事思ったな、考えついたな、あれは良くなかったな、やめときゃ良かったな、あの人と過ごせたな、
自分自身が気づいていない部分も含めてその日にしかないものって沢山あるはずで、それを大切にすることでいつかその経験が糧となると思う。
つまり、「無駄な時間・日なんてない」と思うことは、いつか気づく幸せのためだったのかもしれないとある意味自分の中で意見が一致しました。
誰かが「そんなことで幸せ感じてるの?」と言おうと、その幸せに気づけた私がいるこの瞬間が、一番幸せを感じることができる美しい日なのです。
誰もが言語化できないような「幸せ」の概念を、これまで気付きもしない、目にも止めないような視点から捉え、詩にする。
SUPER BEAVERの魅力は、誰もが薄々感じているが言語化できていない部分、目を背けている部分を丁寧に掬い上げる所だと思います。
この記事を読んで、少しでも気になった方はぜひ聴いてみてください。
見た目の癖が少し強いかもしれないので、お気をつけて。