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大好きなクラブの名前を刻ませてくれないか?
Jリーグヤマザキナビスコカップ、君は平成4年に生まれたそうだな。僕と同級生じゃないか。
今度、僕の大好きなクラブがキミの名前を貰いに行くんだ。
僕とクラブとの思い出を話すから君の名前を大好きなクラブにあげてくれないか?
拝啓:ルヴァンカップ
スポーツ選手を目指すが、先天性右側腎無形成で小さい頃は疲労が溜まりやすく、練習後には毎回具合が悪くなりスポーツをする度に指導者の人達から「肩を叩かれる状態」だった。
必死にしがみついた最後の球技も不慮の事故でスポーツ選手の夢は潰えた。
辛い時、逃げたい時に勇気をくれたのが、育った地にあった名古屋グランパスだ。
スポーツの後に目指した道は音楽の世界。青年期に、「理屈なき比較」(芸術系のコンクールとかに出た事のある方はこの表現の意味がわかってくれるかと…)で自我がボロボロになった時。近くの公園で同級生達が遊ぶ中、1人黙々とピアノを弾いている時。
曇り空の時に家まで響いてくる太鼓の音。歓声、そしてテレビの向こうにいる選手達が僕のパワーになった。
東日本大震災。人生の分岐点と震災が重なり、音楽をやる意味に何年も悩み、腐った時に前を向かせてくれたのもサッカーだった。
「今度は自分がもらったパワーを返す番」だと思いスタジアムに足を運ぶ。しかし、そう簡単に人生や想いはいかないもの。
目の前で起こっているのは、自分が目標としていた選手や一緒に切磋琢磨してきた選手に対する落胆の声。罵声。これを見て期待するのをやめた。
少し名古屋グランパスから離れていた時、前監督が名古屋に就任すると聞き「ピッチで面白いことを起こせる方」と知っていたので改めて追うようになった。
足を運んでみるがもう過去のような事で気にしなくなっていた。
大人になり、好きなクラブの良い所や好きな所。本当に自分しか知らない事があるなら他人の事を気にする必要はないじゃないか。と気づいたからだ。
名古屋グランパスと色んな感情を共有した。
辛かった時も
感動したときも
悔しかった時も
送り出すときも
寂しかった時も
そして少し甘酸っぱい思い出も。
いつも名古屋グランパスがそばあった。
今は名古屋グランパスの良さを発信するために少しだけ恩を返している最中だ。そんな恩も返しきれていないやつに協力する筋合いはないかもしれないが、ほんの一瞬だけ「名古屋グランパス」からパワーをもらっていたあの頃を思い出したいんだ。
ヤマザキナビスコカップ。いや、ルヴァンカップよ。僕の大好きなクラブの名前を君の持っているトロフィーに刻ませてくれ。