思考グセという厄介な敵。
あれもやりたい!
これもしたい!
頭の中でよく考えることある。
例えば、ここ最近でいう僕のやりたいことは、久々にタンスからギターを引っ張り出して、作曲をしたい。ゴリッゴリのパワーポップを。
スーパーカブにも乗りたい。ソラニンの種田みたいに。自分の意思と葛藤しながら、大きな決断とかを迫るときに、スーパーカブに乗りながら考え事をして、颯爽と駆け抜けたい。
あとはIllustratorでイラストを描きたい。今の僕のアイコン(アップデート予定だけど)このテイストで綺麗にブラッシュアップし直したい。
割と現実的な範囲で、やりたいことというものが存在している。でもやらなかった。やれなかった、ではないやらなかったんだ。
以前、地元の図書館で『自己肯定感』についてまとめてある本を読んだ。正直、自己肯定感を高める方法とかどの本を読んでも同じようなことばっかりだろとか、めちゃくちゃ天邪鬼な僕がいて。ただ、この日は図書館なら無料で読めるしいいかとか貧乏くさいこと考えながら、手に取った。
その時、読む前には思いもしなかった大きな気づきがあった。ほんの数秒前に自己肯定感ー?とか鼻ほじりながら(ほじってないです)あぐらかいていた僕にイナズマが走った。
思考と感情の違い。
この違いについて考えたことはあるだろうか。
思考は「〜するべき」「〜しなくちゃ」周りの目があるからこうしないとダメなんだとか、あれもやってこれもやって〜というある意味自分を追い込んでしまう考え方。
これを僕はよくやってしまう。何かに取り組んでいても、こうであるべきだとかこれをしなくちゃならないとか頭の中で考えに考えて、自分の精神を追い込んでしまい、結果行動が停止してしまう。考えるだけの思考グセがついてしまっている。
そして、それに対して感情。これは自分が「したい」かどうか。「好き」なのかどうか。つまり、こう見られてしまうのでは?という他からの視線。他人中心的な考え方ではなく、″自分はどうしたいのか″という自己中心的な想いを大切にすることで、自己肯定感が高まるというのだ。
自分は人の目を、人の思いを気にしすぎる傾向があった。知らず知らずのうちに28年間、人の目に怯えながら、頭の中で考えたけどストップをかける『行動ストッパー』という悪いやつが脳みそを勝手に仕切ってた。
考える→やりたい→けど、でも→やらない
このループから断ち切りたいな。自分に自信を持ちたいなと考えた時、この「けどでもビーム」という『行動ストッパー』の必殺技から逃れたい!どうするのか。そんな時の必殺技。
僕は接続詞を変えて立ち向かう「じゃあビーム」
Illustratorでイラスト描きたいな。
けど、時間がないな。
Illustratorでイラスト描きたいな。
じゃあ、どこかのタイミングでかける場面を探そう。
こんな感じでポジティブ変換をしてみる。そして、僕はこの夢をこの間クラウドファンディングで支援した友人のお春ちゃんが制作する本の中の自由スペースにイラストを描いて用意できたのだ。しかも、自分的には満足。これは何かの可能性も感じた。
こんなふうに『じゃあビーム』もいう必殺技を駆使して、自分の感情を叶えてゆとりのある考え方へ変化していきたい。
自分の「したい」をゆっくり叶えていこう。
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