JESSE/The Bonezとkj/Dragon Ashの共演について
JESSE(ジェシー。RIZE、The Bonezのギター・ボーカル)とkj(降谷建志。Dragon Ashのギター、ボーカル)がコラボするというニュース。
Twitter/Xにも書いたんだけど、活動初期にはライバルというか敵対視する関係にあった2人が、こうしてコラボするに至ったことについて、個人的には「嬉しいけどなんかフワっとした不思議さややりきれなさがある」みたいな、複雑な気持ちがある。
というのも、それぞれがバンドメンバーを1人ずつ失っていて、その2人が亡くなった先にこのコラボが実現したということ。
もちろんその2人と今回のコラボには因果関係は全く無いけれど、その2人が生きていたら、今回のコラボはあっただろうか、と考えてしまうような流れがある。
その亡くなったメンバーの1人めは、Kというボーカリスト。
The Bonezというバンドは、Pay money To my Pain (P.T.P)というバンドが母体にあって、そのP.T.PのボーカルがKだった。しかしKが2012年に亡くなってしまい、残されたメンバーの内ベーシストとドラマーにJESSEが合流する形で、The Bonezが結成された。
一方でP.T.Pの停止後、Bonez参加ではなくソロ活動を始めたギタリストのPABLOは、kjが2015年に始めたソロ活動およびその発展形として結成されたバンドThe Ravenに加わっている。
つまり、Kの死があった後に、P.T.Pの元メンバーがJESSE、kjそれぞれと音楽活動を始めるという流れがあった。
P.T.Pの活動休止があり、残されたメンバーがJESSEとkjと共に音楽活動を再開したという流れが、今回のコラボの遠因のひとつになっている。
亡くなったミュージシャンのもう1人は、馬場育三(IKÜZÖNE)。Dragon Ashの初期メンバーでベーシスト。
Dragon Ashはkjの同級生たちで結成されたのだけど、メジャーデビューに際してメンバーの脱退(会社からの解雇)があり、そこでオーディションを経て加入したただ1人の歳上のメンバーなったのが馬場だった。
年齢が上なこともあり、馬場はバンドにとって精神的支柱な存在であったけれど、馬場もKと同じく2012年に逝去している。
馬場は亡くなる少し前に病で活動休止をしていた期間があり、その際に馬場の希望により代打を務めたのは、RIZEのメンバーであるKenkenだった。そしてKenkenは馬場の逝去後、Dragon Ashの継続的なサポートメンバー(実質的な新メンバー)としてバンドに参加する。
この時点でRIZEとDragon Ashの繋がりはあったということで、JESSEとkjが敵対視する関係では無いことは分かっていたのだけど、直接コラボをするには至っていない、のと話がまだ続く。
2019年の夏、Kenkenは突然逮捕されてしまう。(同時にJESSEも逮捕されている)
Dragon Ashにとっては突如としてベーシストがいなくなってしまっただけでなく、数日後にライブを控えていた。そこで、代打のベーシストとして急遽バンドに招聘したのが、元P.T.Pのメンバーであり、BonezのメンバーでもあるT$UYO$HI(ツヨシ)だった。
Kenkenは逮捕後サポートメンバーから外れることになり、そこからT$UYO$HIがDragon Ashの継続的なサポート・メンバーとなる。
(因みにKenken含め、ベーシスト正式なメンバー加入にならないのは、本人の意思だったり契約上の問題だったりするとのこと。Dragon Ashがメディア出演をする際、そろって挨拶やトークに参加している点から、Dragon Ashにとってサポートベーシストが実質的にはメンバーの1人であることが分かる)
ここでやっと今回のコラボに繋がる!
このコラボは、BonezのメンバーでもありDragon AshのメンバーでもあるT$UYO$HIが発案したものだった。
そこからBonezとDragon Ashで一緒にツアーを回ろうという企画が立ち上がり、その流れでBonezの曲にkjがゲストボーカル/ラップで共演するということになった。
今回のコラボ曲の中には馬場とKの名前も出てくる。
両バンドにとって2人は大切な存在であることが歌詞から読み取れることができ、とても感動的ではあるし、Kおよび馬場育三の不在が巡り巡ってJESSEとkjの敵対解消そしてユニオンに至ったということは、なにか目に見えない「縁」のようなものを感じさせるものであるとともに、バンドを追っていたオーディエンス/ファン(僕もそこに含まれる)にとっては、ある種当然な流れの先に実現されたものだ、ということでもある。
(因みにJESSE、Kenkenの逮捕で活動が止まってしまったRIZEも今年活動を再開した)
話が最初に戻ります(敬語)。
僕が感じるフワっとした、違和感にも似た不思議な感覚は、この「縁のような不可思議な出来事」であることと「流れとしては自然なこと」ということが同時に起きているため。
もちろん両者が並立しうることは頭では理解できる、というかこの2つはむしろ同時に起こるべき/同時にしか成り立たないものであるとは分かっている。
とはいえ、流れを辿っていけばこのコラボは当たり前のものだとして、「もしもKと馬場がいたら…」という先を考えた時、このコラボがあり得るのかというと、少なくともDragon AshのメンバーチェンジやBonezの誕生は起こらなかった訳で、何かコラボがあったとしても、まったく同じ企画、同じ曲が生まれることはなかったということになる。
そこになんだか不思議な感覚を持ってしまった。
そして何より、Kや馬場というミュージシャン/人に、本来ならもっと生きてほしかったという思いは消えない。こんな感動的なコラボなのに、(当然な話だけど)実現に重要な役割を果たした馬場とKは、ここに居ないんだ。そんな切なさを払拭できないでいる。
上手くまとまらないのだけど、今回のJESSEとkjのコラボについて、こんなことを思った。
あと今回のコラボ曲にはGrateful Daysのフレーズが使われていて、「kjとZEEBRAの関係にも変化が?そういえばZEEBRAはRIZEとコラボ曲も出してる…」など、そっちの方が話題的には大きいのかなーというオマケを付け足して話を終わりにします。