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30

こんにちは、こんばんはの方もいるかもしれない。

そんなことはさておき後1週間で30歳になる。
特別変わったことなど何一つない。
強いて言えば、生物学的に言えば老化しているし、いつ死ぬかわからないのでただの指標にすぎないのかもしれない。
さて、0-10歳の記憶はあまり覚えていない。
と言うと、嘘になってしまうのだが、目立ちたがり屋だったのは今も昔も変わってはいないのかもしれない。それ故にいじめられたりもしたことがあったし不登校になったことがあったが、その間空手習って、習ったことは絶対に他人にしてはいけないルールを裏切りいじめたやつを殴りに行ったことくらいしか覚えていない。

10-20歳の記憶はひたすら趣味や人脈づくりに勤しんでいたなと思う。間違えなくこの頃の憧れが今の自分を創っているに違いない。この頃、私は写真(当時は銀塩版にフィルムを焼き付けたりしたモノクロフィルムを自分で現像していた)を勉強した。勉強したと言っても結局卒業するまでオートで撮っていた。
My trip still continueと言うタイトルの、滝川駅で撮影した写真で北海道新聞社賞を取ったのがまだ記憶に新しい。
それと同時にロードバイクをはじめて、mixiも年齢を偽ってコミュニティに入ったり、Twitterもこの頃から始めていた。
あの時好きだった先輩、別のクラスメイトが、たまにサムライブルーの香水と共に思い出す。

この世代の人に言えることは、この時得た知識、経験は大人の頃の夢になる。だからたくさんの人に会ったり、たくさんの仕事を見た方がいい。

幸いにもなのか、ロードバイクはお金が無いとできない。写真もお金がないとできなかった。
だからアルバイトもほぼ毎日して、朝練にもって夜はバイトしていた生活を3年した。朝は4時起き、札幌から北広島総合体育館まで行って、5時から7時くらいまで練習して、家に帰って、また学校に向かう生活だった。周りのメンバーの人は管理栄養士だったり介護士だったり、銀行マンだったりが多かったからお金の大切さにも気付かされたことは多かった。

前置きが長くなってしまったが、それ以上に20-30歳で得たことは、文書にまとめることができないくらいに多い。もちろんこの世代の人たちが満遍に似たような経験をすることはまずあり得ない。参考までに、1人の人生として考えた方がいいと思う。

  • 人生で一番やりたいことができるラストチャンス

間違えなく言えることは、歳を重ねるたびに新しいことをすることはリスクになると言うことだ。クリエイティブでちょっとした発想をどこかで試せるような方達は別として、多くの人たちは会社に勤め、余暇で趣味であったり、副業を行うのではないかと思う。これから先、親もそう若くはなくなり人によっては介護に行かなければならなくなってしまったりもする。そう言う意味では、自分の身体が思うように動かせる中でほぼリスクなく動ける意味ではラストチャンスではあるのではないだろうか。

  • たくさん写真は撮っておいた方がいい

パーティで変な写真を撮ったり、撮られたりしたのはある意味いい思い出だったのかもしれない。それ以上に七五三や成人式を越えてから、恋人だったり友人だったりに会う時間は殆どなくなった。あったとしても、友達の結婚式だろう。交通事故や病気、自殺で亡くなってしまった友達が私の周りにも何人か存在する。だから生きてるうちに写真を撮ろう。自分が一番美しい状態の写真を残しておこう。

  • 恋愛はたくさんしよう。だが無理にする必要は無い

恋愛はたくさんした方がいいと思う。まずその理由としては、変な性癖がついてる人間のほとんどが若くしてあまり恋愛をしてきていない(もしくは行き着いた果てなのか…?)風俗狂いな人が多い気がしている。もちろんセックスが全てでは無いが、20代では無視することが出来ないと思うし、それも含めて2人の社会を築いていくことが、例えば別れの日が来たとしても人生に深みを増すことになるのでは無いだろうか。(ちなみに一回戦で限界すぎてもう俺の中ではそのタームは終わった)

  • いろんな国に旅行しろ

そんなに海外は行ってない、(本当はコロナがなければオランダとかドイツとか行く予定だった)自分が行ったのは、タイ、アメリカ、台湾ぐらいだが、もっともっと行ったほうが絶対に良いし行くべきだと思う。タイでは車優先の道路で半分轢かれかけたし、観光地のタクシーの値段交渉でキレながら揉めたし、公衆トイレでは有料だし、水は金かかるし、で日本の当たり前じゃないことをたくさん知れた。最低でも3カ国、違う環境の国に行こう。自分自身が新しいものに興味があったり、心が若く居られるのは、そういった違いを受け入れる心があるからだと自負してる。(男性へ、あと海外の風俗は行ったほうがいいと思う。くれぐれも病気に気をつけてね)

とまあ、まだまだありそうな気はしたが、大きくいうとこの辺りかなと思う。
お金に関しては無くてもそこを補える人脈や情報があればそんなに苦労することは無いのではないだろうか。

少し前の話になるのだが、高校の時の美術の先生が自分の代で退職する先生で「間違えないことだけを大切にしろ、必ずしも人は死ぬ」という、100年経ったら周りはみんな死んでいるのを当たり前に言ってるように、その当たり前すら現実的に受け止めれないのだから、やはり死というのは逆算しつつ、自分がどんな形で死ぬのが美しく、後世に残すことが出来るのかを考えてしまう。人は死んだ時、と忘れられた時に2回死ぬというのはこのことなのだろう。

というわけで、長々書いてしまったが、誕生日祝いお待ちしてます。

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