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ドネーション・ギフトエコノミーという世界観について

今回のモニターを実施するにあたり、お支払いの仕方をドネーション制にしてやってみることにしました。
僕なりにも色々ネットでドネーション制、ギフトエコノミー制ということに関して調べてみたり、実践している人の話を聞いてみたりしました。

色々な定義、スタンスがあるのですが、今回、モニターを受けていただくにあたって、僕なりのドネーション・ギフトエコノミーという世界観への捉え方をお伝えしたいと思います。
(以下から「ドネーション」と言う言葉だけにします)

1.ドネーション制とは

僕なりに今の時点で捉えているドネーション制について伝えます。

一文で伝えるとすれば、


「提供側が決めた金額ではなく、受けていただいた方が、純粋な感謝、感動、満足感、応援等の気持ちを金額に込めて、自由に金額を決めて贈る仕組み。」

ということになります。

簡潔に言うと、「想いを金額に込める」ということです。

他のところではお金ではなくモノをギフトとして届ける、逆にその人のサービスやお金ではない何かを提供する、というのもあるようですが、
今、僕は何かモノが欲しいわけではないということと、このあとの2.や3.でお伝えする部分でもあるのですが、実験をしてみたい(しかもシンプルな形で)といのがあり、
今回は「お金」という形にさせていただきました。


2.僕もあなたも体感してみる

上で書いた
「提供側が決めた金額ではなく、受けていただいた方が、純粋な感謝、感動、満足感、応援等の気持ちを金額に込めて、自由に金額を決めて贈る仕組み。」
の「純粋」にフォーカスを当ててみたいと思います。

自分の内側にある純粋さというのをそのまま表現をしたことはありますか?

純粋を辞書で調べると
まじりけのないこと。雑多なものがまじっていないこと。邪念や私欲のないこと。気持ちに打算や掛け引きのないこと
というのが出てきました。

ピュアとか透明さ、とかそういうのも近い言葉ですね。

何かを受け取るとき、または差し出すとき、
純粋ではない、何かが入り込むような感覚の体験は誰しもあると思います。
遠慮する、躊躇する、照れ隠しする、ビビる、未来を不安に思う、過去の体験から想定する、
「一般的」や「相場」「平均」などを考慮する、といったところです。

「自分は純粋な形で何かを提供したり受け取ったりしているだろうか」
「何かが混じっているとしたら、それは何が混じっているのだろうか」
「その混じっているのを純粋にしてみると何が起こると思っているのか」

僕自身もきっと色んなものが立ち現れると思います。
上の問いなども用いながら、瞬間瞬間見つめていきたいと思っていますし、

「自分の純粋さに触れて、その純粋さで交流する」ということを
身をもって体験してみたいと思っています。


3.日本では浸透しにくい仕組み?

ドネーション制を実践した方からの話を聞いてみたりして、
「日本でのドネーション制は浸透しにくい、難しい」という捉え方もあって、
とても理解できるところがありました。

その理由や背景をいくつか書いてみますので、ご自身にも当てはまるかどうか見てみてください。

(a)日本は相手からどう思われるかの意識が強い
→「この金額で大丈夫なのかしら」、「少ないと思われないかしら」など自分の行為が相手にどう思われるかということを心配し、不安になる感じが強いということ。
(上記の心配をしている時点で「自分は少ない額を出している」という意識があるということでもある)

(b)遠慮の文化がある
→遠慮したり、控えめにしたりする傾向が日々の行為のあらゆるところで見られる。
それが習慣的になりすぎていて、人生のあらゆる場面でそれが無意識に出る。

(c)現状を必要以上に深刻に捉えている
→「今、結構経済的に大変で」と深刻に捉えるがゆえに躊躇する。実は支払いをしたあと、何事もなく、人生を過ごせていたり、今も過ごせているのに、「もうやばい」「そろそろやばい」という意識になる。

(d)将来への不安から日々自分がたくさんお金を循環させていることを忘れる
→1ヶ月で何にどのくらい、支払い、サービスを享受しているかを考えてみるといい。
美容室、ネイル、化粧品、洋服、電化製品、外食、交通費、観光、娯楽、色んな所で実は結構使っていて、普通に生活できているのだけど、ちょっと大きな支払いになったりすると、日々のことが吹っ飛んで未来のことを心配して渋るときがある。

(e)相場を勝手に設定して周りに合わせようとする
→(a)にも違いが、「ドネーションいくら払ったらいいのかしら」って不安になって、ネットで調べたり、他の参加者に聞いたりして、だいたいの相場観を自分で設定して、(しかも体験をする前に)、その決めたものをそのまま払おうとする。

(f)過去を基準に置く
→過去に自分が似たような体験をしたときのその金額を思い出して、その前提を置く。

(g)ドネーション制・ギフト制=安く受けられる・お得だ と思い込んでいる
→「自分で金額を自由に決められる」というところが重視されて、「安い金額で受けられるもの」と思い込んでいる。


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上に書いたものは、恥ずかしながら僕自身が実際にやっていたことである。
逆に言えば、これらの体験から「自分が何に囚われているのか」「どういう前提・思い込みがあるのか」ということが分かるということでもある。


4.純粋性を出すところから始める


上で書いたような前提・思い込みがあることが悪いことだと言いたいわけではないし、
僕自身もお金やそれ以外のの前提や思い込みは自覚・無自覚問わずたくさんある。

で、そして、どうしたいかだ。

僕自身色んな体験をしてきた。
例えば、「1万円チャレンジ」ということで、神社のお賽銭に元旦に1万円を入れたことがある(しかも2箇所で)。
その時は今よりもお金が無いときだったので、かなりビビったが、それをやったとしても、貯金が0円になったわけでも、借金を背負うことになったわけでもなく、
人生普通に生きているし、1万円チャレンジをしたときはすごく売上が上がったので、もしかしたら、その体験をしたことによって、つまり、出したことによって返ってきたのかもしれない。

それ以降は色んな神社でお札を入れることが日常になったりしているし、
僕も友人がクラウドファンディングをやった時に支援することもしているし、
逆に自分がクラウドファンディングをやって応援して貰う立場を体験したりもしている。

どれだけ自分が純粋なエネルギーで出して受け取るかというのはこれからの時代、とても大切な要素だと思っているし、それを人生で自分自身に体験させてあげるかどうか、それによって人生の豊かさも変わってくると思う。

僕自身が今回のモニターを始める前は「出し渋って」いたと言える。
つまり純粋ではなく、滞らせていたということだ。

色んな人から色んなことを教えてもらって、愛をいただいていたのに、
愛をストックしていたり、出すことが怖かったのだ。

こうやってドネーションのことを書くのも怖さはある。
上に書いたようなことを書いたら、きっと「たくさんお金をもらいたいから、そういう書き方をしているんだろ」って思う人はいるだろうし。
正直なところで言えば、「僕はお金いらないよ」っていうのはウソであり、あったら嬉しいとも思っている。
同時にこうやって今回発信をさせてもらうことによって、モニターをやらせていただいて、どんな体験が起こったとしても受け容れて、味わっていく覚悟ができている。
むしろ、色んな体験、起こる感情や思考もすべて迎え入れる。

そして、僕は自分から純粋ものを出すところから始める。
いや、純粋じゃないものも色々出ると思う。等身大から始める。
等身大に立って、始めて、どんな成分が含まれているかが見える。

だけど、全身全霊でモニターを受けてくれる人たちと接したいと思う。
(松岡修造みたいに熱い熱量は出ないかもしれないけど、許してね)


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今回参考にさせていただいたドネーションに関する記事の一部
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・ドネーション制(自由料金制)/ ギフトエコノミー Mai Fujita
https://note.com/maisharestyle/n/n87e93dcfbb8d

・ギフトエコノミーと循環生活 近藤 瞳
https://note.com/alice1103hitomi/n/n7cf7c6344085

・ドネーション制に挑戦 umare
https://umareart.com/donaion-art/

・ドネーション制について ヨガインストラクターmaho
https://ameblo.jp/maho-prana/entry-12420556230.html

・ドネーションという試みについて 松本佳奈
https://matsumotokana.theblog.me/posts/4945627/

・全てのクラスがドネーション制になります YOGA studio SWELL
http://yoga-at-ride.blogspot.com/2021/07/blog-post.html


5.最後に & モニター詳細・申し込みページ


ドネーションとは
「提供側が決めた金額ではなく、受けていただいた方が、純粋な感謝、感動、満足感、応援等の気持ちを金額に込めて、自由に金額を決めて贈る仕組み。」
と書いた。

読み返して、「提供側」と「受けていただいた方」というのにちょっと違和感があった。
人と人、何かと何かというのは、常に与え合い、受け取り合う存在であり、
「提供側」と「受けていただいた方」という区分けはないのだろうと思う。
(一応便宜上、そういう表現を使っているとご理解いただきたい)

その「合い・合い」を体感する時間になるのだろうと思う。

ご興味ある方はぜひ、こちらのリンクよりお申し込みください。




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