母親が喜ぶ人生を選んだって幸せにはなれなかった20代男子の戯言
あなたは今やっている仕事をどうやって選んだだろうか?
◇資格を取ったから?
◇お金のため?
◇子供の頃からやりたいことだったから?
色々あるかもしれない。
そして最後にその仕事をしようと決めたのは自分だろう。
しかし、1つ考えてみてほしい。
本当に自分の意志で決めただろうか?
今の仕事にやりがいを感じていて楽しいという方は読むのを辞めて構わない。
多分、この先の内容もあまりピンとこないからだ。
しかし、少しでも今の仕事に対して「これって本当に私がやりたかったことなの?」とモヤモヤしているあなたは最後まで必ず読んでほしい。
なぜならそのモヤモヤが溶ける手がかりになるかもしれないからだ。
またこれは必須ではないが、この話は『ヒステリックな母親と内向的な息子の葛藤物語』として構成している。
そのため下記記事を読んでからの方がより理解は深まると思う。
私が就職活動をしていた頃の話
まずは簡単に自己紹介をしたいと思う。
◇20代男子
◇管理栄養士
◇新卒で就職した病院をわずか8か月で退職
◇現在はブロガー
カンタンにまとめるとこんな感じだ。
そして今回の話で注目するのは「新卒で就職した病院をわずか8か月で退職」したというところ。
今に思えば私は病院に就職するのが本意ではなかったのではないかと思うのだ。
そして案の定、病院に就職しても長くは続かなかった。
なぜなら僕の就職活動の軸は「母親を喜ばせること」だったから。
しかし就職活動をしていた当時、私は自らの意志で「病院で働くこと」を選んだと思っていた。
この理由について今回は深堀していこうと思う。
就職活動の軸ってなに?
私が病院に就職しようと思ったのには4つの理由がある。
◇他に受けた企業は全落ちした
◇母親は病院に就職してほしいと強く望んでいた(資格が活かせるから)
◇さすがに就職しないとまずいとは思っていた(洗脳もあった?)
ざっとこんな感じだ。
そしてその当時私が選択できる道は3つ存在した。
◇母親に喜んでもらうために病院で働く
◇アルバイトをしていたコンビニでオーナーになる
◇専業ブロガーとして生きる
私は大学の頃からブログで広告収入というものを得ていた。
そのため専業ブロガーで生きるという道もあったのだ。
しかし「絶対に就職はしなさい!」と母親に咎められたので専業ブロガーという選択肢はいったんなしにした。
そして残ったのは2つ。
病院で働くかコンビニでオーナーになることだ。
僕はアルバイトをしていたコンビニで「大学卒業したらオーナーにならないか?」と誘われたことがあった。
「普通」というものに強い嫌悪感を示していた私は、その選択もあながち悪くないなと思った。
しかしここでもヒステリックな母親が登場する。
「コンビニのオーナー?あんたに経営なんてできるわけないでしょ?」
そしてこれは田舎特有なのではないかと思うが、
「お前はどこに就職したとや?」
という親戚からの質問攻め。これが母親のヒステリックをさらに加速させていた。
「コンビ二のオーナーなんてなったら叔父さん達から笑われるやろうが!」
常に近くにいる人間でもないし、笑ってくれるんだったらそれでよくね?と思っていたが母親はそれがひどく嫌だったようだ。
「お願いだから普通に働いて」
泣き叫ぶような勢いで訴えられた。
となれば僕に残った選択肢は1つ。
病院に就職することだったのだ。
なんで病院にこだわったのよ?
母親は「管理栄養士の資格を活かして働くこと」に強く執着していたのである。
まあ当然といえば当然だ。
安くもない学費を払って大学に通わせたのだ。
資格を使って働いて欲しいだろう。
しかし僕はそれがたまらなく嫌だったのだ。
理由は4つある。
◇管理栄養士のきつさは実習で味わった
◇お金の面で恵まれない(仕事量が割に合わない)職場である
◇管理栄養士で働く以上女の世界からは逃れられない
◇そもそも普通の人生を歩みたくない
女の世界の怖さは大学時代に嫌というほど思い知った。
(管理栄養士は男女比が9:1)
だがヒステリックな母親の怖さはまだ知らなかった。
知らない間に洗脳されていたからだ。
それについては後で詳しく解説する。
以上の理由があって私は資格を使って就職することを拒んでいたのだ。
資格のミスマッチが起こるのは正直仕方ないと思う。
だって大学を選ぶのは高校3年生の時。
業界のことなんて1ミリも知らない中で決めた選択が大正解だった人間なんているのだろうか。
いやほとんどいないだろう。
それなのに一度決めた選択を一生曲げてはいけないという母親の考えは正直狂っていると思う。
自然と母親の臨む道を選んだ私
資格を使って働く気がないと母親に話した。
それで返ってきた答えがこれだ。
「ここまで育ててあげたのに・・・私の育て方が悪かったとやろうね。もう勝手にすれば?」
こんな言い方をされれば普通の子供ならこう考えてしまう。
「私が好きなように生きようとしたらお母さんが悲しんでしまう。お母さんが喜ぶような生き方をしよう」と。
小さい頃からこのようなことで母親に被害者ぶられることが多かった私は無意識に「母親が望む選択しかできない息子」に育っていた。
シンプルに怖かったのだ。母親の臨まない選択をした結果、母親が不幸になるのではないかと。
そうなるぐらいなら「母親の操り人形でいた方が良いのかもしれない」という結論にまで至るようになっていた。
今思えば、完全に私の人生の軸は「母親」である。
だから私は無意識に「病院で働きたい」と思うようになったのだ。
別にたくさんお金を稼ぎたいわけでもなかったし。
母親が喜んでくれるのならそれでいいとすら思っていた。
もちろん就職活動の軸は「母親を喜ばせること」だ。
ニートになって気づいたヒステリックな母親の怖さ
私は新卒8か月で適応障害を発症した。
病院で働くのが極度にストレスだったからだ。
もちろん職場環境は最悪だった。
しかし、私はもともと繊細で人の顔色を極度に気にしてしまう性格(今思えばこれもヒステリックな母親の影響ではないかと思う)。
会社員という生き方が適応しないのも薄々感じてはいたし、人間関係のイザコザに耐えられない気はしていたのだ。
だからこそできるだけそんなリスクの少ない人生にしようと思っていたのだ。
◇生活に必要な最低限のお金を稼ぐ
◇できる限りストレスの少ない生活を送る
これが私の人生で大切にしたいことだった。
だから大学の頃から必死にブログを書いていたのだ。
手が腱鞘炎になるほどまでにね。
多分普通の人間なら会社員に戻った方がましだと思うぐらいに人類の常識を超えた活動をしている自信はある。
だが「普通の生き方ではない」のは確かだ。
ヒステリックな母親にとって息子がそんな生活をしているのは我慢がならないのだろう。
ならば私はずっと自分を押し殺して「ヒステリックな母親の操り人形」でいなければいけないのだろうか。
長くなったがここまでが「母親が望む人生を選んでも幸せにはなれなかった20代男子の戯言」である。
恐らく親世代の人間に読まれればひどい反感を買うだろう。
まぁ、書きたいから書くけどね。
というわけでこの話は締めくくろうと思う。
次回は「なぜ母親は年を取るにつれてヒステリックになるのか」を考察してみようと思う。
◇もしかして私も母親の操り人形だったのかもしれない
◇母親の言動で思うように行動できない
というあなたはぜひまた読みに来てほしい。
なにかしらのヒントがもらえるかも、、しれないよ。