世界がつながる瞬間
私は圧倒的に音から情報を拾っているタイプだと思う。ラジオや音声配信が好きだし、YouTubeでもラジオ配信ぽいもののほうが好き。高校生のとき、ラジオで解禁された好きなアーティストの新曲を繰り返し聞きながら、まだ発表されてない歌詞を必死に文字起こししたこともある。
文字はうまく読めない。本を読むときは、たぶん、脳内で音読している。音読してわかるようなわかりやすいものはスッと入ってくるけど、難しい本や堅苦しい本は外国語のような意味のわからないただの音になってしまうので、理解するのに時間がかかる。そういうときは文字を書く。その文字を見て、難しい単語を分解して、わかるようにする。
画像や映像など視覚的な情報は、補助ツールとしては役に立つけど、それだけで何かを感じ取るのは難しい。説明が欲しい。外国の映画は字幕だと文字に集中して疲れてしまうから、日本語吹き替えがいい。(昔はそんな自分が子どもな気がして恥ずかしかったけれど、特性なだけなんだよね)
授業は文字(黒板)と音声の同時配信で、しかも言ってることと書いていることが厳密には違うから、私にとって授業は黒板をノートに写す時間だった。ほとんど聞いていない。ふと、私にとって最適な授業の受け方はなんだったんだろう?と考えると、授業中は先生の話をメモ帳に文字起こしして後でまとめる、がよかったのでは?と思うけど、後でまとめるほど真面目な生徒ではなかった。
ちなみに記憶は映像と繋がっていて、その場所に行くと思い出すということがよくある。逆に、その場所に行くまでは全く忘れている。
このことを考えるきっかけは、Xやnoteで周りのひとが話していたからだ。だけど、実は最初は書いてあることが難しくて(文字を処理できなくて)正直理解を諦めていた。なんかみんな話してる〜と素通りしていた。そのうちに私のわかる言葉で書いてくれたひとがいたので理解できて、それからいろんなひとの発信を遡った。情報が少なすぎて困るひともいるらしい。理解はできたけど、意味はわからなかった。
そして、気づく。
私、処理スペックかなり低いのでは?
厳密にいうと、一度に処理できるキャパシティがめちゃくちゃ少ないんだと思う。だけど、処理速度は速いと思う。マルチタスク人間ぽく見てもらえることもあるんだけど、自分では、マルチタスクをしているのではなく、すごい速さでシングルタスクをこなしているイメージだった。
処理するためのスペース(というイメージ。私の中では)が少ないと仮定すると、いろんなことが腑に落ちた。思いついてやらないタスクが多ければ多いほど、私のスペースが埋まっていく。そうすると、使えるスペースがどんどん小さくなっていって、キャパオーバーになる。私にとっては、このスペースがきれいに保てていることが何よりも優先順位が高いので、やりたかったはずのタスクもこのスペースにあるとゴミになってしまい、やりたくなーい!と捨ててしまうのではないかな?と思った。
このあたりのnoteやポストはわからないなりになんとか言語化しようとしたものなんだと思う。おもしろいなあ、と思いながら過ごしていた。なんかにまとめよう、とは思ったけど、急ぐ必要もないなと思っていた。
その件とは別に、最近“誰が私の生卵を潰してきたのか?”ということもずっと考えていた。もちろん親なんだけどさ、ほかのひとも関わってきたと思うけどさ、そして最終的には自分なんだけどさ。なんかずっとしっくりこなかった。親に一因はあると思うけれど、完璧な親なんてどこにもいないと思うし、なにか痛烈に記憶に残っているトラウマのような出来事があるわけでもなかった。そして、私は記憶に残る限り4歳で自分で自分の生卵を割っている。生卵を割っている、というか既にやりたいことがなく、周りの顔色を伺った“将来の夢”を回答していた。
それより前のことって、当たり前だけど記憶そんなにない。兄弟の発生による状況変化だったとしても私と兄弟は4つ違いなので、4歳までには影響をそんなに与えていないはずなのだ。もう少しで掴めそうな気がする、だけど掴めない・・・そんな感じだった。
このふたつの考え事が、今日突然まとまった。
私、音から処理する能力が高い。生まれ持ったものだと思う。そして、私はかなり早くからべらべら喋る子どもだったので、言語を認識するのも早かったんだと思う。私の親は私の前ではそんなに悪くない親だったけど、私が寝た後に良くも悪くも子どもたちの話をするタイプの親だった。これらのことから仮説を立てた。私が小さくてまだ言葉を理解していないと思って、私について評価や願望を話していたのではないか。私は記憶にはないけど、それらを聞き取って、先回りして親の願望に沿った行動をしてきたのではないか。この仮説が立ったとき、とてもしっくりきて、ちょっと泣いた。
私の親は本人に直接言うことはあまりない。だけど、周りのひとに言うことで、コントロールしようとするタイプだとは思う。(私もしっかりその特徴を受け継いでいると思う)だから、私も自分の希望をはっきりと伝えることをあまりしてこなかった。どうしてわかってくれないの?と相手にぶつけてしまうことが多かった。それは、「私は言われなくてもわかるのに、どうしてあなたはわからないの?」という押し付けだった。私が言わないんだから、わかるわけないのにね。そして、言わないあいだに私は私のことがどんどんわからなくなっていった。
だけど、良い面もあった。私は相手が何をして欲しいのかどれくらいの距離感でいたいのか、その人との付き合いが長くなればなるほどわかるので、今の仕事が向いていたんだと思う。そう皮肉にも得意なことでもあるのだ。
ムーンプランナーさんのパーソナルサービスのとき(恐ろしいことにもう1年半前のことになる)に、“自分が考えている通りの反応を相手から引き出したい”というようなことを言っていたんだけど、これは私がやってるんだから!周りもみんな私にそうして!という傲慢な甘えのようなものだったんだと思う。勝手にやってることなのに。
だけど、私は少しずつだけど自分の言葉で喋るようになっている。自分の頭の中で考えているだけではなくて、人に伝えたり、行動するようになっている。その結果、実は前ほど周りのひとがどうして欲しいかわからなくなったり、わかっても面倒でその通りに動かなくなったりしている。自分の得意を潰す行為だから、ちょっと怖い。情緒が安定していないことも増えた。
それでも、私は人のことを理解したいんじゃなくて、私のことを理解できるようになりたい。私は私の願いを叶えてあげられるようになりたい。私は聞くのが得意なはずだから、もうちょっと特訓すれば、私の声がよく聞こえるようになると思う。私の心と言葉がつながれば、そこから先はものすごい速さで駆け抜けていくと思う。
こんなことを書いていると、自分を過大評価しすぎなんじゃないか?とツッコミを入れる私もいるけど、私が思えばそれが私の世界では真実だから、軽やかに一蹴して、このまま突き進む所存です。