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予感を拾い集める

第3回幻冬舎大学の日、朝一番にヨガに行った。骨折で2月3月と休会していて、4月から復帰をして2回目だった。前よりもヨガをする時間が大切な時間になっている。心も身体もデトックスできた。脳のスペースが広がっていくのを感じた。
家に帰ってお風呂に入り、ごはんを食べ、服を着替え、化粧をする。少し早いけどスタバでのんびりすればいいかと北参道へ向かう。電車の中では、久しぶりに音楽を聴く。YUKIのアルバム「パレードが続くなら」だ。あるフレーズが耳に飛び込んでくる。

ねえ 2人なら
きっと革命も起こせるよ

どんどん君を好きになる / YUKI

この無敵感いいなあ。私、無敵になりたいのかも。
そんな自分の心の内側に気づく。

北参道に着く。スタバに寄って「一年3セットの服で生きる」を読みながら、ドリンクを飲む。突然「なりたい」が降りてくる。

「ああ、私は雫石になりたいんだ」

雫石は、私の一番好きな小説よしもとばななさんの「王国」の主人公である。雫石の好きな部分を拾っていけば、私のなりたいが見つかるかも、そんな気がした。帰ってから「雫石になりたい」という視点でもう一度読み直そうと思った。

講演会に行くまでにすでにいくつもの閃きがあったので、あきやさんすごいなあと感謝した。なんとなくいい予感がした。

講演会はものすごく心に響くものがあって、何度も泣きそうになるのを堪えた。誰かがしているから私する意味とは?という葛藤と不安にとても共感した。だけど、それを乗り越えてアウトプットしつづけたあきやさんは強い。私もそうなりたい。たぶん私の中にも知ってほしいと叫んでいる自分がいたのに無視してきたんだろう。自分のすることを価値あることだと思えていなくて、それは自己否定をしていることに気づく。私は自分のことをもっと知る必要があるんだろう。

家に帰ってから、講演会の内容を踏まえて1週間以上悶々と考えていた「ふつう」についてのnoteを書くことにした。とにかく出そう!と書き始めたら、壮絶な自分語りnoteになった。夜更かしになったけど、頭の中はすっきりして、寝た。

次の日、夜更かしのせいもあり目が覚めると結構な時間だった。こんなに寝坊するのは久しぶりだ。予定もなかったので、ベッドのなかで第3のアウトプット方法について考える。講演会の日は「やってみる(体験する)」だと思ったけど、もう一つ浮かぶ。それは、あきやさんが最初につけてくれたコンセプト「教育系ワークショップの講師さん」だった。
もしかして、コンセプトって第3のアウトプット方法なのか?そう考えるとしっくりきた。私は自問自答ファッション講座であきやさんにコンセプトを見つけてもらって、コンセプト活動をしたんだけど、しっくりこなくて変えていた。それは、なんのためにコンセプト活動をするのかと考えたときに、価値あるもの、役に立つものでないといけない、という私のいつもの思考回路になっていて、価値あるものがつくれなくてコンセプト活動をやめていた。だけど、自分のアウトプットのためにコンセプト活動をするのか!と思ったら、やっぱり最初のコンセプトが私の「なりたい」なんだと思った。

このときにのならなくちゃダメが、価値あることをしなくちゃ、役に立つ人間でいなくちゃ、だった。このときに自己否定から始まるウィッシュだと本当はわかっていたんだけど、認めるのが怖くて保留にしてた。ムーンプランナーさんのパーソナルサービスでも「どうしてそんなに役に立たないといけないと考えているんでしょうか?」と突っ込まれていて、そのときは「小さいころ偉人の伝記をめちゃくちゃ読んでたからですかね?」なんて答えていた。

さらに次の日、講演会の日に書き上げた「ふつう」のnoteの感想をすやりさんがくれた。

正直、私は自分の思いを吐き出せて満足していたので、この先が重要だと?!さすがすやりさんは考えが深いぜ!と思いながら、アドバイス通りに「どうして特別になりたいのか?」考えることにした。
ちょうどそのとき、私は待つことが仕事という状況だった。本当は80人くらいを90分で一人で捌かないといけないはずで気合を入れて行ったのだけど、実際はまったく来そうな気配がなくて(20人くらいしか来なかった)気合が空回りしている待ちぼうけだったので自問自答するにはぴったりの時間だった。

なんで特別になりたいんだろう?と考えると、私はもっとみんなから気にかけてもらいたいのかもしれないなと気づいた。長子だったこともあってか、あまり手がかからないタイプの子だった。学校に入ってからも問題行動を起こすようなタイプではなかった。マイナスなことでも気にかけてもらえる子たちのことを羨ましく思った。ふつうじゃ見つけてもらえないから、特別な子になって気にかけてもらいたかったんだなあ。
そして特別な子ではないふつうの私は、せめて社会の役に立つことをしないといけない、そうじゃないも生きている意味がない!そういう思考回路が自分の中にあることを初めてちゃんと自覚した。
つまり、それって承認欲求のところで止まっているってことじゃない?そして、それは人に満たしてもらうんじゃなくて自分で満たしてあげないといけないんじゃない?承認欲求を自分で満たすことができれば、ふつうとか特別とか気にしなくてなるのかもしれない。

どうやったら承認欲求を満たすことができるのか、LINEのAIチャットくんに聞いてみた。こんな気軽にAIを使えるのは火辻さんのおかげです。


承認欲求を自分で満たすためには
①自己肯定感を高めること②自分自身に目標を設定して達成すること③自分自身を褒めること④自分自身に対して優しく接すること⑤自分自身を客観的に見つめること
が必要だとAIチャットくんが教えてくれた。うーーーん、どれもできていない🙃🙃🙃

そんなことを考えながら仕事をした。ちょうど仕事相手は子どもで、いろんな子がくる。大きな声で挨拶をしてくれる子、恥ずかしそうに小さな声で話す子、うれしそうにしている子。詳しくは書けないけど、みんな緊張している。私と接するのは一瞬だけど、どの子にとってもよい経験になればいいなと思いながら接している。いつもどこでも私と触れ合った子どもたちが今日の経験がいい思い出になって、これから先に幸せに過ごせるように願っていた。私が過去にたくさんのものを大人たちからもらったように。

もう一度帰りの電車で考える。
今でもはっきり思い出せることがある。10年以上前にあるワークショップを開いて、子どもたちが書いたワークシートを読みながら「子どもたちが一生懸命書いたワークシートに間違いなんてひとつもない。全部正解なんだ!」とものすごく感動したことがあった。
私は子どもたちに対しては、優しく接することもできるし、褒めることもできる。自分に対してはできていないのに、不思議な話だ。ああ、私は自分を認めてあげたくて、褒めてあげたくて、ワークショップというパッケージをつくりたいんだということに気づいた。私が生徒になって、私のためのワークショップを考えよう。

だけど、いつもダメ出ししてくるアイツが出てくる。

「親にだってなってないし、先生でもない。
本当に子どものことがわかるの?」

あーもううるさいなあ。別にやったっていいでしょ!親じゃなきゃ先生じゃなきゃ子どもの幸せ願っちゃいかんのかい!ちょっと遠い距離からだけど10年以上そのこと考えつづけて、いつも願ってきてるわ!

最近、脳内のアイツは弱い。
前は百戦百勝だったのに、すぐにボコボコにされる。

だけど、ここで履き違えないようにする。
私は自分を知るためにアウトプットする。
その形がワークショップだってこと。
だれかの役に立つとか世界を変えるとかは考えない。
自分のために、自分を認めてあげるために、私はつくるのだ。

(ファッションへの落とし込みは次のnoteへ続く)

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