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私、行動するの楽しくないので!

先日、誕生日を迎え33歳になった。
誕生日のポストには、たくさんお祝いの言葉をいただいた。お祝いの言葉とともに、たくさんのひとに私自身の“行動力”について褒めてもらった。読むたびに、嬉しい気持ちとおなじくらい、なにかもやもやした気持ちがあった。
ひとを騙しているような、そんな気持ち。

さすがに、自分のことを行動力がないとは思ってはいない。
だけど、なにかが引っかかっていた。

そんな気持ちを抱えたまま、週末を迎えた。
週末は、おいぬさん湖森さんきゃあさんともんじゃを食べた。
(この4人は本当に考え方が全然ちがっていて、自分の思考や行動についてたくさん話せて、差異がめちゃくちゃおもしろかった。)

そこでも行動の話になって、私は「私って、行動しているとき、ちっとも楽しくないんですよね」と言っていた。言って、自分の本心に気がついた。

そう、私は、行動するときは別に楽しいわけではないのだ。

いつも行動するときは、バンジージャンプを飛ぶ瞬間やだれかに背中を押されて崖から突き落とされているような気持ちでいる。だからちっとも楽しくない。それがひとにはあんまり伝わっていないと思っていて、それがなんだか騙しているようでもやもやしていた。

私が「行動することは楽しくない」と言ったことに、3人も驚いていた。
そして、自問自答ガールズのあいだで私が行動のひとだと思われるようになったきっかけはバンジージャンプを飛んだことだったんだけど「バンジージャンプ飛んだときも楽しくなかったんですか?」と聞かれた。

飛ぶ前は?
あんまり怖くなかったけど、女性でひとりがマイノリティーなことに怯えていた。
飛ぶ瞬間は?
考えたら怖くなりそうだったから、考える前に飛んだ。
飛んでるときは?
飛んでるーって思った。
飛んだあとは?
引き上げられるまで怖かった。

と回答して、自分でも自分のことを変なひとだなあと思った。(もしかしたら当時と感想が変わっているのかもしれない!と思って、家に帰ってから noteを見返したら、ほぼほぼ同じことが書いてあってホッとした。むしろ、楽しかったとは一言も書いていなくて、こいつやるな・・・!と自分を褒めたくなった。笑)

伝えるのが難しいけれど、私の中でバンジージャンプは楽しかった出来事にちゃんとなっている。だけど、バンジージャンプを飛ぶ過程において楽しい瞬間は一度もなかった。

では、私にとってバンジージャンプが楽しかった出来事に変わったのはいつなんだろう?と考えた。ひとつは、そのnoteに対して自分が想定していなかったようなたくさんのリアクションをいただいたこと。もうひとつは、バンジージャンプを飛んだことで気づきがあったことだと思う。当時のnoteを振り返ると、私はこう言っている。

バンジージャンプを飛んだら、私は自分の強みに気づいた。
私の強みは、自分の欲に忠実に動ける瞬発力だ。

この気づきがあることで、楽しい出来事に変わるのだ。楽しい、という言葉は正確な表現ではないのかもしれない。良い出来事、意味のあった出来事、それを私は楽しいという言葉で表現しているのだと思う。

私は自分にとって気づきがあることがうれしいし、誰かの気づきになれたら、とてもうれしい。だから、怖いけどいつも行動しているんだと思う。

いつも行動する前は怖い。(そして、その怖さをめんどくさいという言葉に置き換えて逃げる癖もある)だんだんと慣れることもあるけど、慣れないこともある。海外の飛行機のチケットを取るときだって怖いし、まだ親しくなれていないお客さんのところに行くときだって怖い。ハイブランドのお店に入るときも怖いし、静かなこじんまりとしたカフェに入るのも怖いし、初めて行く駅だって怖い。いくら自分に正当性があっても社長に文句言いに行くときはさすがに怖いし、弊社のミスに対してお詫びの電話をかけるときだって怖い。

いつもいつも怖い気持ちと戦いながら生きている。だから、私の人生はそんなに楽しくない。だけど、私は知っている。行動したあとには、必ずなにか気づきがあることに。もしかしたら、行動してもなにも気づきがないことが怖くて、私は必死にこじつけでもいいから気づきを探しているのかもしれない。(このことを、スギサキさんとささめさんは“日々を祝福しながら”と表現してくれたのかな)こじつけでもいい、気づきが欲しいのだ。(これを私の場合“着想”と呼ぶ。そして今までは行動したらすぐに着想がないとストレスになっていたけれど、寝かせてから着想が起きることも今は理解した)

私は(あくまでも“私”のはなし。だから強調する)行動しないと気づきを手に入れることができない。頭で考えていても、誰かの話を聞いても、それだけではわからないことが多すぎる。行動(経験という方が正しいのかもしれない)することでしかわからない。だから、どれだけ怖く思っても、めんどくさく思っても、行動することだけはやめないでほしい。そこにうずくまっていても、私はなにか理解できる日は来ないんだよ。

いつか怖くて動けなくなる日が来るかもしれない私のために、書き残したくなりました。だけど、欲張りだから、怖くて動けない誰かにも届いたらいいなと思ってる。

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