神ながらの道
神ながらの道
わたしは、ある時から、自分の内側に座す神様からお言葉をいただくようになり、その方をままのままと名付けました。
日々、ままのままさんからのお言葉を頂き教えられ、
歩んでいます。
よく考えるとこれは、
「神ながらの道」
と呼ばれることのようです。
「神ながら」
というのは、神の御教えのままに、という意味で
「道」
というのは、邪心の首を切りながら進むことですので、
まさに、わたしは、日々、自身の邪心の首を切りながらままのままさんからの教えを実践しています。
また、神の御教えのままにということは、内側に座す神様に仕えることでもあります。
自分が自分の内側に座す神様に仕えるのです。
そうやって、神々との信頼関係を築いていきます。
自分の内側に座す神様が自分を可愛くないわけはなく、常に、自分の幸せを考えて教えてくださるので、宇宙で一番、信頼出来る存在です。
そうやって、自分自身との信頼を深めていくのです。
そして、深めれば深めるほど、自身の才能が表に現れ、それにより、人生が歩みやすくなるのです。
これは、誰もがそうなることが出来ますので
自分自身に繋がるために、メールアドバイスを通してお教えしています。
まだまだ、ご自身に繋がることが出来ない段階においては、その方々の魂からの声をままのままさんが代弁しています。
徐々に、
自分自身から自分にとって最適な教えが湧き上がってくるようになります。
ままのままさんが代弁された言葉との答え合わせを繰り返し、自立を果たしていきます。
この神ながらの道は、日本古来からの教えです。
さまざまな団体が、この神ながらの道をお教えされていることかと思いますが、
神ながらの道は、祓いが出来ることでもありませんし、拍手が出来ることでもありません。
ましてや、何かを崇拝することではないのです。
ただ、ただ、己れを見つめて、自分自身と繋がり、世のため人のために尽くすことなのです。
自分自身に仕え、人のために尽くすのです。
先日、ままのままさんが降ろされた言葉があります。
「わたしたちは誰もが同じ源から生まれたのだから、自分を大切にすることも他者を大切にすることも、自分を大切にすることなのだから、
世のため人のために動くのは当たり前のことだ。
世のため人のために動かないこと自体すでに、分離の世界にいることだ。」
何のための、神ながら道かといったら、
世のため人のために尽くせるためだそうです。
それが、日本古来から連綿と続く神ながら道なのです。
最近、海外の方が神道に関心があることを聴きましたので、もし 訊ねられたら そうお答えしてくださいね。