敏感と鈍感
わたしは わたしの周りの者から、傷つけられる現実を作り出している人たちのことを見聞きします。
また わたしの知らない世界では傷つけられている人の話を聞くことがあります。
不治の病で苦しんでいたり家族間の悩みがあったり。。。
見えない何かにぐるぐる巻きになっていて身動きがとれなくなっています。
どうしてそんなことが起こるの?
信じられない。。。
わたしがそう感じても そうなることは当たり前だと信じて疑わない。
家庭不和はもちろん、登校拒否、いじめ、病気、怪我、事故、、、、、。
起きていることを問題視せずに、生きています。
わたしは小指一本に痛みがあっても その意味を考えるのにな。
わたしのどんな言動、心がそれを引き起こしたのだろうと、
内省、検証します。
それをしないと前に進めない(一瞬で終わりますが)から。
それが わたしの当たり前です。
だから、人の痛みにも反応して一瞬で治します。
ひとつひとつの感情や感覚に絶えず向き合っています。
少しでもブレたら戻します。
ブレることを許さないのではなくて、ブレる自分は本当の自分じゃないから本当の自分に戻すだけなのです。
こんなわたしを人は敏感だと言います。
確かに、痛みには敏感です。
みんなみんな、同じ存在だから 自分の痛みにも人の痛みにも敏感に反応します。
そういえば 人間社会の残虐な行為って どうやって生まれたかわかりますか?
みんなみんな、同じなのに 人にたいして残虐な行為をするために、わざと自分を鈍感にしたのです。
人の痛みがわからないように自分を鈍感に仕立てあげたのです。
自分の痛みに敏感だと、人の痛みにも敏感に反応して、傷つけることはしないし できないです。
自分の痛みに鈍感なままでいると 人の痛みにも鈍感でいるのです。
それって どういうことかわかりますか?
人の役に立ちたいと言われますが、自分を犠牲にしてまでも人の役に立とうとする人がいます。
それは、鈍感だからです。
わたしは人の役に立ちたいとは思わない。
ただ わたしのやりたいことが人の役に立つことだと思って行動しています。
敏感と鈍感の違いです。
人の役に立ちたいと思う前に、自分の痛みに敏感になってください。
お腹が痛いのに、人をおんぶはできません。
おしっこ我慢して、人をおんぶしたらもれてしまいますから。