予感
コロナワクチンを打つ打たないで悩む人はコロナウィルスが怖いからじゃないかな?
コロナがないと 元々、思っている人は悩みもせずに 打たない選択をするのでしょううね。
コロナウィルスは免疫力の弱い高齢者になるほど死ぬ確率が高いと言われているから早く打ちたいと思うようです。
あんなに、テレビでコロナコロナとまくしたてていたら、怖く感じるのは当たり前だと思う。
しかし、ワクチンが出来たら、治験が済んでないから任意で、と言われる。
コロナウィルスが有ると考えている人ほど、どちらを選んで良いのかわからなくて怖いよなあと思う。
あんなにコロナコロナと騒ぎ立てなかったら、打たない選択をする人も増えただろう。
そして、命を守ることを真剣に考えた人も多いでしょう。
コロナウィルスが怖いものと騒ぎ立てているのは、医師側で、ワクチンが危ないと言ってるのは、医師よりもジャーナリストみたいな人の方が多い。
そのため正確な情報が埋もれています。
正確な情報は出ているけど、そこに行きつく人は少ないのかもしれない。
そのためには、中立の立場で見極める力が必要だとわたしは考えています。
さまざまな人からご自分の意見を聞くことが多い環境にあるので、多種多様だなあと思って聞いているのですが、社会的な立場で考えられる人と個人的な自分の感情だけで選択される人とが多種多様ですので もはや統制を取るのが難しくなってきています。
逆に、社会は「統制」を考えていないのかもしれません。
そのため、社会としての機能がなくなってきて、経済崩壊が迫ってきています。
気づきませんか?
一人一人が自分自分の個人的感情だけで動く人が増えたら、経済は成り立たなくなるのです。
今まで作物を作ってくれた人がやめたら、それを好んで食べていた人はそれを食べられなくなります。
そんな人が増えたら、、、。
そうなると自給自足の生活が始まるでしょう。
今まで自由気ままに生きてきた人は、自給自足の生活をするか作物を作っている人や食料を持っている人に頭を下げて頂きにいかなければ生きていけなくなるかもしれません。
そこで、食料のある人が感情的に恵みを惜しむと、その人を死なせてしまうかもしれません。
豊かさを持っている人は惜しまず出す技量を試されていきます。
かつて感情的になり去っていた人を許し受け入れていく技量を求められるのです。
そうやって、誰もが許し許され、新しいコミニュティが出来ていくのではないでしょうか?
このコロナ騒動は、そんな未来を予感します。
備蓄をしてください。